RX-7にコスモスポーツにRX-VISION…クルマ好き憧れのお宝が並ぶ新生「マツダミュージアム」の全容とは
ストーリー性を重視した新生マツダミュージアム
1月30日はマツダの創立記念日だ。2023年で同社は103周年を迎えた。
そんなマツダが展開する「マツダミュージアム」が、2022年に全面リニューアルを受けて新装オープン。どんな施設に生まれ変わったのか実際にチェックしてきた。
マツダミュージアムはマツダの歴史や歴代車両を展示する博物館であり、広島本社に隣接した工場敷地内にある。開館したのは1994年5月。2022年5月に2度目の全面リニューアル施され、新装オープンを果たしたばかりだ。
今回マツダは、なぜマツダミュージアムをリニューアルしたのだろうか? 大きな理由はふたつある。
ひとつ目は、2020年にマツダが創立100周年を迎え、それを機にブランド発信を強化するため。ふたつ目の理由は、もっともっとマツダファンとの絆を深めるためである。
従来のマツダミュージアムは、ともすれば、工場見学コースのうちのひとつ、といったイメージが強かった。社会見学的にマツダの過去の車両やクルマづくりを学べる展示スタイルだったといっていい。
しかしリニューアル後は、クルマそのものの紹介よりも、マツダの歴史を理解してもらいやすい展示に変化。具体的には、展示物は時代背景を絡めて紹介し、スペックだけでなくそのクルマが誕生したねらいなども理解してもらえるよう努めている。
「大人のファンにも、マツダの想いが伝わるようなミュージアムづくりを目指しました。リニューアル後はストーリー性を重視し、創立からの100年間を感じてもらうとともに、次の100年へとつなぐ内容にしています」と、担当者はリニューアルにかけた思いを説明する。
●かつてマツダは「さく岩機」のトップメーカーだった!?
新生マツダミュージアムの館内は、10の展示ゾーンに分けて構成されている。
1:1920〜1959年 ものづくり精神の原点
2:1960〜1969年 総合自動車メーカーへの躍進
3:1970〜1985年 時代の変化に対応しながら国際的な企業へ
4:モータースポーツ 企業と技術の威信をかけた世界への挑戦
5:1986〜1995年 さらなる飛躍を期した「攻め」の拡大戦略
6:1996〜2009年 ブランド戦略を重視し新たな成長戦略へ
7:2010年〜TODAY 世界一のクルマを造る技術とデザイン
8:テクノロジー 人を第一に考えるマツダのものづくり
9:ASSEMBLY LINE 皆様のクルマはこうして生まれる
10:TOWARD THE NEXT 100 YEARS 人とともに創る
館内を歩いてみて従来のミュージアムとの大きな違いを感じたのは、自動車メーカーとして歩み始める前の歴史や、東洋工業(マツダの旧社名)時代の“自動車メーカーではない部分”もしっかりと紹介されていること。
マツダの実質的な創業者である松田重次郎は、13歳で単身、大阪へとわたり鍛冶屋で見習いを始めた後、日本各地の工場を渡り歩いてものづくりへの情熱を高めていった。その後、生まれ育った広島に戻り、貧しい故郷に産業を興すことに力を注いだという。
それに関連する展示として、自動車メーカーへとつながるマツダ製車両の原点である3輪トラック「マツダ号」(展示車は1935年製「TCS型」)が置かれているのはもちろんだが、1935年に製造販売を始めた高精度な技術を必要とする「ゲージブロック」や、同年に生産を始めた「さく岩機」など、車両以外の展示も興味深い。
なかでも、岩やコンクリートなどを砕く際に使われる作業機械であるさく岩機に関しては、実は東洋工業は1970年の国内シェアで44%を占めるほどのトップメーカーだったのだ。高度成長期、日本各地で同社製のさく岩機によってトンネルが掘られ、1960年代には新幹線の建設工事でも大活躍したという事実を知る人は、マツダファンでも少ないだろう。
1989年に分社化されるまで、さく岩機が東洋工業の主力製品のひとつだったというマツダファンにもあまり知られていないトリビアが、新生ミュージアムには満載なのだ。
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