イタリアの石畳にほどける「小宇宙」の記憶——ミラノデザインウィークでグランドセイコーが描いた“時の本質”とは
呼吸をはじめる街、4月のミラノ。すべての路地がアートへと繋がる一週間
4月のミラノは、街全体が「ミラノデザインウィーク」という巨大なキャンバスへと姿を変えます。世界中から30万人以上のクリエイターやジャーナリストが押し寄せる、まさに家具とデザインのオリンピック。
そのメインイベントは巨大な見本市会場での「サローネ・デル・モービレ」ですが、もう一つの主役が、ミラノ市内の歴史的建造物や路地を舞台にした「フォーリサローネ」の熱狂です。
ミラノでも際立って洗練されたアートの街「ブレラ地区」。総合プロデューサー・桐山登士樹氏の指揮の下、グランドセイコーが舞台に選んだのは、19世紀の歴史を湛えた「Galleria d’arte moderna “Il Castello”(ガレリア・ダルテ・モデルナ・イル・カステッロ)」です。
2023年より「ブレラデザインウィーク」の公式タイムキーパーを務めるグランドセイコーが今回提示したテーマは、ブランドのフィロソフィーである「THE NATURE OF TIME」。
日本の気鋭クリエイター三名を迎え、腕時計の「顔」であるダイヤル(文字盤)に宿る微細な美を空間へと拡張する、没入的な試みが展開。現地にて、クリエイターの方々に話を聞いてきました。

進藤篤:抽象の光で積層された時間を「ほどく」
まず会場に入り目を奪うのが“無数の光の脈”――
デザイナー/アーティスト・進藤篤氏によるインスタレーション「PULSE OF TIME(時の脈)」です。
進藤氏は、グランドセイコーの文字盤を初めて目にした時の衝撃を、少年のように目を輝かせながら振り返ります。

「髪の毛一本分にも満たない厚みの世界。けれどその中には、深い奥行きと、無限に広がる『小宇宙』がギュッと詰まっている。プロダクトの枠を超え、見る人が、まるでこの光の脈の中に入り込めそうな抽象的な空間体験を作りたかったのです」
彼が挑んだのは、最新の3Dプリント技術を使い、文字盤の多層構造を空間に引き出すことでした。しかし、そこには微細な調整と度重なる試行錯誤がありました。
「通常、3Dプリンターは樹脂を積み重ねることで『固まった物体』を作ります。それはある意味、時間を固定して止めてしまうとも言えます。しかし今回は、あえて層同士を接着させずに、ペラペラと『ほどける』状態に留めました。積層された時間を、あえて解(ほど)いていく。そうすることで、文字盤の極薄の世界に閉じ込められていた時間が、現実の空間へとスーッと立ち上がり、動き出すような感覚を表現したかったのです」
会場に連なる約600本の光。四季の移ろいや1日の循環を表現するため、光の点滅と色は緻密にコントロールされています。
「季節の移ろい、一日の陽の動き、スポットライトでランダムに煌めく独自の時間、そこに今回展示している5つのダイヤルを想起させる色味の変化を重ねています。日本の四季への慈しみを、この抽象的な光の波として味わってほしいのです」

川原隆邦:具体の和紙が宿す、環境という名のエンジン
進藤氏の抽象的なアプローチに対し、より具体的で触知的な表現を試みたのが、和紙職人・川原隆邦氏による作品「aurora(オーロラ)」です。富山県で400年続く「蛭谷(びるだん)和紙」を唯一継承する彼。
その創作の原点は、伝統を一人で守っていた先代職人との出会いにありました。
「先代からは基礎のみを教わり、あとは『自分でやってみてダメだったら違う方法を考えろ』という教え方でした。そのおかげで、結果的に枠にとらわれないフリースタイルな作風が確立されたんです」。
今回の展示で観客を圧倒したのは、伝統的な和紙の概念を物理的にも超越した、圧倒的な「大きさ」の作品です。

「通常の紙漉きは、木枠を『持ってすく』のが一般的ですが、私の場合は巨大な枠を設置し、そこに原料を一斉に流し込んで動かす『置いてすく』独自の技法を採用しています。穴が開いている箇所は、水を落として作っている。現代建築のダイナミックなスケールに応えるために生まれた、私なりの解決策です」
さらに、今作で「白樺と月」という具体的なモチーフに挑んだ理由について、彼はアーティストとしての覚悟を語ります。

「具象的な作品は、見る人の好き嫌いがはっきりと出てしまう。美意識や『美しい』の基準を突きつけられるため、非常に難しい挑戦です。
しかし、伝統工芸はただ過去をトレースするだけでは衰退してしまう。私は『攻める』役割を担い、賛否を恐れず新しい表現を世に問うことで、和紙の可能性を拡張したい。
時計作りにおける繊細さや緻密さと対峙した時、その誠実さに深く共鳴し、この具体的な素材感でリスペクトを表現したいと考えたのです」
グラデーションの和紙を透過する穏やかな光。それは、和紙そのものを見せるのではなく、和紙を作る「技術」を使い、別の次元の美しさを提示しようとする、伝統工芸の「次のステップ」を予感させていました。

時計を“プロダクト”ではなく、“時間体験”として提示する
ミラノの重厚な石造りの回廊。日本の匠たちが描き出した、抽象と具体が交差する繊細な光。今回の展示で印象的だったのは、グランドセイコーが時計を単なる高級プロダクトとしてではなく、私たちの感情を動かす「時間そのものを体験する装置」として提示していたことです。
「時間は消費するものではなく、味わうもの」
かつて、秒針を止めるために時計を見ていた私たちは、この空間で、流れる時間そのものを愛でるという贅沢を知る。それは、効率や速度を追い求める日常から切り離された、至福の充足感でした。
取材を終え、再びミラノの石畳へと踏み出す。
手元の時計に目を落とすと、そこにはミラノの空の色を吸い込みながら、静かに、そして誇り高く鼓動を刻む「自分だけの豊かな時間」がありました。
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