白洲次郎も感じていた? ベントレーのプリンシプル
さて、「B」モードで道中の走りを楽しみつつ、今日のゴルフもこのモードのように軽快にプレイできたらな、などと思っていたところ、ふとある人物の名前が浮かんだ。ベントレーとゴルフとなれば、思い浮かぶその名は白洲次郎(1902−1985年)である。
兵庫の豪商の家に生まれ、ケンブリッジ大学クレアカレッジへ留学。実家の破産などを乗り越えながら、連合軍占領下の時代に当時の首相・吉田茂の側近として活躍した人物だ。英国留学中、ベントレーの創業間もない頃に、ベントレー3リットルを購入し、ヨーロッパ大陸を横断した人物である。次郎が乗っていたベントレーは、1924年式のベントレー3リットル「スピード」(ナンバーはXT7471。現在日本のワクイミュージアム収蔵)だ。
ちなみに1922年にワークスチーム「ベントレー・ボーイズ」が作られ、1923年に始まったル・マンで5位入賞。その後、戦前では5勝を挙げている。まさに当時のスーパーカーである。14歳の時から当時は珍しい自動車を乗り回していたという次郎が、最速を誇るベントレーを操りたかったのは当然の成り行きだったのかもしれない。
ところで、彼はよく「プリンシプル」という言葉を多用したいう。プリンシプルとは、根本的な原理や原則を意味する。敗戦し立場も自信も弱くなった当時の日本にあって、立ち直るために、また連合軍など欧米と対峙する上でも、自らの立ち位置=原則をはっきりさせ、間違ったことには毅然とした態度で臨む、そのスタイルが戦後を生き抜くために必要であることを伝えたかったのだろう。
当の本人は「意味はよくわからんが大事だ」などと、とぼけることもあったそうだが、根本や本質を見失わないこと、ブレないためにも自分が決めたプリンシプルを持つことの大切さを説いている。それは儒学や武士道にも通じるのだが、留学や欧米との交流の中でも培われたものらしい。想像するに、若き次郎はベントレーからもその大切さを感じとっていたのではないかと思う。
なぜなら、ベントレーは創業当時から「良い車、速い車、クラス最高の車」を造るという実にシンプルな目標を掲げレースでも大活躍、いまなお一貫してドライブする楽しさ、そしてその最高の体験が味わえるクルマを作っている。いつの時代も「世界最高のドライバーズカー」の称号を得ているのは、妥協せずにそのプリンシプルを貫いてきたからにほかならない。晩年までクルマ好きを通した次郎である。まだブランドも確立していなかったベントレーに乗ったのは、性能や楽しさの中にそのプリンシプルを感じたからかもしれない。
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