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日本に1台のみの幻のポルシェ「924カレラGTR」の正式名称とは? バブル前に「911ターボ」が2台買える値段だった!!

17台だけしか作られなかった希少なポルシェ

 1976年に登場したポルシェ「924」。FRポルシェといわれた924の市販ターボモデルが「924ターボ」で、1980年の限定モデル「924カレラGT」、1981年の限定モデル「924カレラGTS」などが存在し、さらに特殊で希少なモデルが「924カレラGTR」だった。

1981年当時は5000万円という高額な値段で取引されていた
1981年当時は5000万円という高額な値段で取引されていた

 この924カレラGTRのルックスに覚えがあるレースファンも多いはずだ。独特のブリスターオーバーフェンダーは、とても美しいスタイルを生み出し、レーシングマシンとして特別なオーラを放っていた。

 924カレラGTRは、完全に競技出場を目的に作られた1台だ。そして、このクルマの希少性は、その生産台数からもよくわかる。競技専用の市販モデル車両としてラインオフされた台数は、プロトタイプも含めてわずか17台のみ。量産することは元々計画になく、一部のプライベートレーシングチームに供給する目的で作られたクルマなのだ。

●正式名称は「924カレラGTRル・マン」だった

 今回紹介する924カレラGTRは「Auto Roman」で管理されている個体であった。そこで、Auto Roman代表の諸井猛さんに、この924カレラGTRのヒストリーについて伺ってみた。

「このクルマは1981年式のモデルで、世界で17台のみ生産されたレース専用モデルです。今は924カレラGTRと呼ばれていますが、本当の名は『924カレラGTRル・マン』というのが正式名称で、文字どおりル・マン24時間レースに参戦するための車両でした。実際、ル・マンを走った記録も残っています。

 日本には当時3台のみ新車で入って来ましたが、すぐにその内の2台が海外バイヤーの手に渡ってしまい、日本にはこの1台だけになってしまいました。

 オーナーは私で3人目で、今から3年前に譲り受けました。前オーナーは雑誌の取材等で2回ほどサーキットを走らせたといってましたね。

 このクルマの製造はRUFが担当し、チューニングも含めてRUFの製造ライン上で組み立てられています。当時、ポルシェの少量生産モデルはすべてRUFが手掛けていたので、このクルマも例外なくそのラインに載せられたそうです。

 購入した924カレラGTRル・マンは、ほぼ手つかずのストック状態で、各補器類等、経年劣化部分のみを交換。エンジン等はオリジナルできちんと走れる状態にしています」

 希少モデルだった924カレラGTRの1981年に登場した頃の価格をあらためて調べてみると、驚くことに5000万円という高額で取引されていた。当時のポルシェのトップモデル「911ターボ」が約1800万円で販売されていたことを考えると、この924カレラGTRがどれほど高価で価値あるマシンだったかもよくわかる。

 また、924カレラGTRについて本国にもこんな逸話がある。ポルシェを象徴するクルマやレースで使われた歴史的名車を展示するポルシェミュージアム。この中にある常設展示スペースは18台の展示枠しかないが、そのうちの2台が924カレラGTRということ。

 1台がプロトモデルで、もう1台がデリバリーされたモデル。常設展示は歴代ポルシェの中からたったの18台のみ選ばれるわけだが、その中で2台も展示されているという。

 そもそも知名度が低いであろう924カレラGTRだが、ポルシェにとっては、このモデルこそ唯一無二の特別なモデルであることの証であろう。

Gallery【画像】本物のレーシングカーだけに備わるオーラをまとったポルシェ「924カレラGTR」を見る(14枚)

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