スーパーカー少年はみんな憧れた! ロータス「ヨーロッパ」の大いなる誤解とは【THE CAR】
日本でのスーパーカーブーム時代に、間違いなく主役だった1台がロータス「ヨーロッパ」、しかも「スペシャル」だった。本来、安価でホンモノのスポーツカーを目指していたヨーロッパが、どうして日本ではスーパーカーにまで奉られることになったのだろうか。

日本でのスーパーカーブーム時代に、間違いなく主役だった1台がロータス「ヨーロッパ」、しかも「スペシャル」だった。本来、安価でホンモノのスポーツカーを目指していたヨーロッパが、どうして日本ではスーパーカーにまで奉られることになったのだろうか。

元祖スーパーカーであるランボルギーニ「ミウラ」の最終進化型「ミウラP400SV」のなかでも、極めて貴重な初期モデルの個体が日本にあった。ミウラがたどった進化の到着点とは。

TOYOTA GAZOO Racingから、「GRヘリテージパーツプロジェクト」として補給部品の復刻がアナウンスされたばかりトヨタ「2000GT」だが、その開発の背景にはなにがあったのか、当時を振り返ってみよう。

元祖スーパーカーであるランボルギーニ「ミウラ」は、いかにして誕生したのか、そして開発メンバーは当時のことをどのように思っているのか。自動車ライター西川淳氏が、開発者であるジャンパオロ・ダラーラなどへのインタビューなどから紐解く。

スポーツカーメーカーであるポルシェが市販する、もっとも最高スペックの「911」が、「GT2RS」である。古今東西のあらゆるスーパーカーを試乗してきたモータージャーナリスト西川淳氏が、この911GT2RSに試乗し、ハイパーカーの未来を予言する。

ル・マン24時間レースで優勝した車両を、そのままロードカーに仕立てたジャガー「XJR-15」は、同時期にジャガーが生み出した「XJ200」とはまったく異なるルートから50台限定でリリースされた。どうしてXJR-15はXJ220と同タイミングで作られたのだろうか。

モデル末期となったランボルギーニ「アヴェンタドール」。ラストに「SVR」登場の噂も絶えないが、自然吸気のV12エンジンを純粋に楽しむとしたら、「SVJ」ではなく、「SV」がオススメだというモータージャーナリストの西川淳氏。その真意とは。

1980年代後半、あるエンジニアの夢に端を発する「XJ220」プロジェクトが始動した。最高速度220マイル(352km/h)達成を目標に、時代の趨勢に振り回されながらも市販化を果たした奇跡のスーパーカーの物語である。

1996年に開催された世界最高峰のスポーツカーレース「FIA-GT選手権」制覇を目論み、わずか128日で誕生したメルセデス・ベンツ「CLK-GTR」は、参戦初年度でいきなり総合優勝を勝ち取った。このCLK-GTRのロードバージョン全生産数25台のうちの1台を紹介しよう。

スーパーカーはいつの世も、乗り手と造り手の欲望が渦巻くものだ。世界的に好景気であった1980年代、世界のウルトラリッチをターゲットにしたイタリアンエキゾチックカー、チゼータ「V16T」が誕生した。今や伝説のように語り継がれるチゼータとは、どのような夢を抱いたメーカーだったのだろうか。

現在のブガッティは、「ヴェイロン」で復活し、「シロン」へとバトンタッチをして、ラグジュアリーなハイパーカー界で絶対的な存在である。しかし、1990年代にブガッティが一瞬だけ蘇った時がある。そのときに誕生したのが、「EB110」だ。いま、この不遇のスーパーカーEB110に、注目が集まっている。

栄光の名称「テスタロッサ」はイタリア語で「赤い頭」を意味している。1950年代から1960年代に活躍した「250テスタロッサ」の12気筒エンジンに赤く結晶塗装されたカムカバーがその名の由来だ。そして、このテスタロッサの名で復活したフラッグシップは、バブルの象徴となった。

ランボルギーニ「カウンタック」とともにスーパーカーブームを牽引したフェラーリ「BB」は、「365GT4–BB」から「512BB」へと進化。512BBが辿ったカウンタックとは異なる進化とは?

1971年の伊トリノショーでその姿を現した365GT4/BBは、ロードゴーイングマシンとしてはフェラーリ初のミド12気筒で、新興勢力であったランボルギーニの脅威を打破すべく登場した。

2011年の発表当時から噂されていた「SV」の存在。「アヴェンタドールLP750-4スーパー・ヴェローチェ」、通称「アヴェンタSV」は、ひとつの到達点であり、後期型アヴェンタドールのプロトタイプでもあった。
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