クルマの黎明期には世界中で右ハンドルが主流派だった!? いまでは世界で右ハンドル/左側通行が少数の理由とは
左ハンドルが世界的な主流になった理由は「T型フォード」の大ヒット
日本では、クルマが走るのは道路の左側。走るクルマの運転席は車線中央側の右側となり、いわゆる右ハンドルとなります。
この左側通行/右ハンドルは、世界を見渡すと、じつのところは少数派となっています。現在、左側通行を採用しているのは、日本をはじめイギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシア、インド、南アフリカなどとなっています。
一方で右側通行/左ハンドルは、ヨーロッパ諸国をはじめ、北米・南米大陸、中国、韓国、台湾、タイ、ベトナム、アフリカ諸国など。世界的に見れば右側通行が圧倒的といえます。

では、なぜ日本が少数派の左側通行なのでしょうか。また、なぜ世界は右側通行が主流なのでしょうか。
まず、日本のことは後回しにして、世界の事情を説明します。
世界で右側通行が主流になった理由は諸説ありますが、1800年代のフランスに理由ありというのが定説となっています。
ただし、詳細は「ナポレオン独自の戦法のため」「反カトリックの立場から(教皇が左側通行を推奨していた)」「当時のフランスの馬車の御者が左側の馬に座っており、右側通行の方が安全だったから」など諸説あります。しかし、当時の強国であったフランスの影響で、欧州が右側通行で統一されたのは間違いところだと思います。
一方、島国であったイギリスは「当時のイギリスの馬車は御者が馬車中央に乗っており、利き手(右)で鞭を使うため、左側通行の方が扱いやすかった」という理由で左側通行になったといいます。その後の植民地時代になると、フランスが統治した国や地域は右側通行、イギリス統治の地は左側通行となりました。
なお北米は、もともとイギリスの統治であったため最初は左側通行だったそうですが、独立戦争後は地区ごとに徐々に右側通行に変更されています。
これは「独立戦争時にフランスの援助を受け、欧州からの移民が増えたこと」「北米大陸で使う馬車が、欧州で使うもののように左側に座るタイプが主流だった」などの説があります。
どちらにせよ、北米という世界屈指の自動車大国が右側通行になったことが、世界の趨勢に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。カナダやスウェーデンなどは、最初は左側通行だったものが、後に陸続きの周辺国に合わせて右側通行に変更になっています。
同じ陸続きであれば、通行の左右は同じほうが便利です。そうしたこともあって、じわじわと右側通行が増え、今なお左側通行を守るのは、その多くが島国となっています。
ちなみに、自動車がベンツとダイムラーによって発明されたのは1886年。フランスが右側通行、イギリスが左側通行を採用したのは、それ以前、つまり馬車の時代となります。
そして、自動車が普及するのは20世紀の1900年代に入ってのことですが、じつのところ、最初のうちの自動車はハンドルの位置は右とも左とも決まっていませんでした。右側通行のドイツやフランス、アメリカでも、右ハンドルと左ハンドルの両方が販売されていました。
当時の古い写真を見てみると、じつは右ハンドル車も多くあります。たとえば愛知県長久手市にある「トヨタ博物館」に収蔵されている1920年代以前のクラシックカーには、圧倒的に右ハンドル車が多いのです。

自動車の黎明期、ブレーキの操作方法は手でレバーを引くタイプも多くありました。右利きの人がそのレバーを引きやすいように、ボディの右外側にブレーキ装置を配置していたことも多く、必然的に右ハンドル車が多かったといいます。
しかし、1908年に発売されたT型フォードの大ヒットにあわせるように、右側通行には左ハンドルというスタイルが定着。第一次世界大戦の終わった1920年ごろには、右側通行の右ハンドルというクルマは姿を消すようになっていきました。
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