クルマの黎明期には世界中で右ハンドルが主流派だった!? いまでは世界で右ハンドル/左側通行が少数の理由とは
沖縄では44年前、一夜にして右側通行から左側通行へ
では、日本はどのような経緯で、左側通行が定まったのでしょうか。

日本で左側通行が定められたのは、明治33年(1900年)の警視庁による「道路取締規則」です。ここで馬車などの車両の左側通行が定められました。ところが、このルールに人々は大いに反発したといいます。なかなか守る人がいなかったというのです。
とはいえ、そこで決まった左側通行がいまなお、継続されています。
では、なぜ左側になったかというと、ここも諸説あります。「鉄道を学んでいたイギリスに習った」「担当者が何となく決めた」という説まであるのです。
ただし、なんとなくといっても、すでに明治4年から5年(1871年から1872年)に、人力車や乗合馬車向けに「すれ違うときは左側を」という規則が存在していました。明治5年は日本初の営業鉄道である新橋−横浜間が開通した年でもあります。そうした鉄道の影響もあったのではないでしょうか。
明治33年に「なんとなく担当者が決めた」といっても、すでに決まっていたルールを踏襲したという可能性もあるでしょう。
この明治に定められた左側通行は、じつは車両だけでなく人も左側を歩くというルールでした。
しかし、第二次世界大戦後のGHQの占領下に、「日本もアメリカと同じく右側通行にせよ」という要求があったといいます。しかし、それは道路施設の変更をはじめバスの乗車口の改造など、あまりに費用がかかりすぎると日本側が反論。その結果、折衷案として、歩行者だけを右側通行に変更することとなったといいます。
ただし、沖縄だけは、アメリカと同じ右側通行となった。しかし、本土復帰6年後の1978年7月30日に、再び左側通行に一夜にして戻すという大変な変更をおこなっています。
※ ※ ※
日本のクルマが左側を走り、人は右を歩くという、いまでは当たり前のように見えるルールにも、いろいろな歴史や文化といった背景があるのです。
また、それぞれのルールの定まった時期があまりに古く、今では諸説入り乱れるようになったのも面白いところですね。
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