フェラーリの名車の「生みの親」が手がけたコンパクトカーがオークションに登場!生産台数わずか12台 驚きの落札価格とは?
数々の名車を生み出した伝説の自動車メーカー・ビッザリーニ
フェラーリで「250GTO」など数々の名車を世に送り出した“生みの親”、ジオット・ビッザリーニ。彼がフェラーリ退職後に立ち上げた自身の自動車メーカーで手がけたコンパクトカーが、先日、オークションに出品されて注目を集めました。

ビッザリーニと聞いてピンと来る方は、かなりのクラシックカー好きだと思います。
彼は大学卒業後、アルファ ロメオに勤務した後、フェラーリへと移籍。フェラーリでは開発者、デザイナー、テストドライバー、チーフエンジニアとして活躍し、「250TR」、「250GT SWB」、250GTOなどを世に送り出しました。
1961年、フェラーリ社内の内紛に巻き込まれて解雇された彼は、「打倒フェラーリF1」を掲げたATS(アウトモビリ・ツーリスモ・エ・スポルト)をカルロ・チチと設立。1963年には“一応”、F1マシンを実戦投入したのですが、戦績は振るわず、でした。
ATSの頃のビッザリーニは、F1マシンを手がけたことよりも、ATSの資金援助者のひとりでF1チーム、スクーデリア・セレニッシマのオーナーであったジョヴァンニ・ヴォルピ伯爵のフェラーリ「250GT SWB」をGTO仕様に仕上げたことの方が有名かもしれません。
またビッザリーニは、自身のエンジニアリング会社であるソシエタ・オートスターにおいて、フェルッチオ・ランボルギーニからV12エンジンの設計を依頼されています。ただし、ランボルギーニは出来上がったエンジンが高性能すぎると考え、デチューンを命じた、という逸話が残されています。
そんなビッザリーニは、1964年に自身の自動車メーカー、その名もビッザリーニを立ち上げ、「5300GTストラーダ」(国によっては「5300GTアメリカ」と呼ぶ)をデビューさせました。
フロントミッドシップ、後輪駆動レイアウトを採用したこのモデルは、排気量5.4リッターのシボレー製スモールブロックエンジンを搭載し、公道仕様は最高出力365ps、最大トルク385Nmを、レース仕様は最高出力400psを発生しました。ちなみに後期モデルでは、エンジン排気量を7リッターにまで拡大しています。
そんな5300GTストラーダは、1964年から1968年までに合計133台が生産されたといわれています。
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