フェラーリの創設者が通勤に使った「4シーター・スポーツカー」が“驚きのマーケット”で販売中! 価格はもうすぐ1億5000万円に到達か!?
バズることをねらってFacebookマーケットプレイスへ掲載!?
フェラーリの創設者であるエンツォ・フェラーリが、かつて通勤用に乗っていたとされる1962年式のフェラーリ「330 GT 2+2」のプロトタイプが、思いもよらぬ場所で販売されていました。その場所とは、一般的には高額商品より身近な不用品が取引されがちなFacebookマーケットプレイス。もっともこれ、バズることをねらった戦略的掲載だったようですが……。

1950年代の終わり頃、スポーツカーのマーケットは急拡大。フェラーリが4シーターの“ファミリーカー”的モデルを市場投入することについて検討するほどまで成長を遂げていました。
1960年の夏、その構想は「250 GTE 2+2」として結実します。ピニンファリーナへの要請は、「『250』の優雅な外観やスポーティな特徴を損なうことなく2+2モデルを製作すること」でした。
イタリアを代表するカロッツェリア・ピニンファリーナは、エンジン、トランスミッション、ステアリングギアを前方に、燃料タンクを後方に移動させることで、後部にふたつの補助シートを設置するためのスペースを確保することに成功しました。
アメリカ・テキサス州の片隅に置かれた1台のコンテナの中から、フェラーリ専門のレストア業者が抱える顧客がこの車両を発見するまで、その存在は長らく謎に包まれてきました。
シャシーナンバー“4085”は、1962年8月に2台製作されたプロトタイプのうちの2台目として製造され、その後、2年間をレストア工場にて過ごしました。
エンツォ・フェラーリは、自宅からフェラーリ社への通勤に「ミニクーパー」やアルファ ロメオなどのコンパクトカーを多用していました。ただし、「330 GT 2+2」はお気に入りだった様子で、このプロトタイプを通勤車両として用いていたそうです。
シャシーナンバー“4085”は、エンツォ・フェラーリがマイカーとして利用した後、開発用テスト車両として使用され、その後1963年には、“ポスターカー”と呼ばれるカタログやプロモーション向け資料用の撮影車両という役割も担ったそうです。
その後、フェラーリの米国進出の立役者となるルイジ・キネッティ(アメリカ最初の正規ディーラー)の手によって、新天地アメリカへと渡ることになりました。
●フルレストアを経て内外装も見事に復活
1964年1月に市場投入された「330 GT 2+2」は、「250 GTE」の後継モデルとして登場しました。
ピニンファリーナは、フェラーリの最重要市場であるアメリカの嗜好を反映した4灯式ヘッドライトを採用。ホイールベースは50mm延長され、リアシートの居住性は大幅に改善されました。
搭載される60度V12エンジンは、3967ccの排気量から300ps以上を発生。最高速度は245km/hと、当時の市販フェラーリで最速を誇りました。
当該車両はプロトタイプならではの特徴として、初期の「250 PF」と同様、助手席側のファイアウォールの後ろにヒューズボックスを配置し、エアコンやパワーウインドウは装備されていません。
2009年のフルレストア時には28万5000ドル(現在のレートで約4315万円)以上が投じられ、工場出荷時と同じアイボリーの外装と黒の内装が見事に復活しました。
残念ながら、1970年代のトラブルにより、オリジナルのエンジンは失われていますが、エンジンルームまでていねいにレストアされており、オーナーズマニュアルなどの貴重な付属品は複数のオーナーを経ても大切に保管されてきたようです。
現在、この歴史的なモデルが86万5000ドル(約1億3096万円)という価格でFacebookマーケットプレイスとWILD BOUT CARS GARAGEの両方に出品されています。
ちなみに、2018年に開催されたボナムズのオークションでは22万4400ドル(現在のレートで約3397万円)で落札されており、2019年にはそれを中古車販売店が50万ドル(現在のレートで約7570万円)で販売して現在に至ります。
現在の市場動向を踏まえれば、100万ドル(約1億5140万円)に到達する日は、そう遠くないのかもしれません。
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