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ダッジ「バイパー」の終焉の秘密 「えっ…」とどめを刺したのは“サイドエアバッグ”!? アメリカンマッスルカーの悲しい運命とは

劇的なスタートを切った伝説のV10アメリカンマッスルカー

 2017年に、25年にわたってアメリカのスーパーカー界を席巻してきた1台の名車が、静かにその歴史の幕を下ろしました。そのモデルこそダッジ「バイパー」です。V10エンジンの野太い咆哮とともに誕生し、最後は法規制という現実の壁にはばまれて消えていった真のアメリカンマッスルカーでした。

ダッジ「バイパーACR」
ダッジ「バイパーACR」

「バイパー」の開発は、1990年に75人の精鋭チームによってスタート。同チームは、U-2偵察機やSR-71ブラックバード、ステルス爆撃機を生み出したロッキード・マーティンの伝説の開発部門“スカンクワークス”をモデルとしていました。

 チームリーダーのロイ・シェーベルグは、全員に“スカンクワークス”の物語を記した本を配布。少数精鋭で効果的かつ創造的なチームの構築を目指したのです。

 プロジェクトの承認は、驚くほど迅速でした。当時、クライスラーのCEO(最高経営責任者)であったリー・アイアコッカは、1990年にデトロイトのオークランド・アベニューでプロトタイプを試乗した後、わずか30分で決断を下しました。「何を待っているんだ?」という彼のひと言が、「バイパー」量産化への道を開いたのです。

 その代わりに、開発予算として割り当てられたのは、取締役会の承認を必要としない5000万ドル(現在のレートで約73億5900万円)以下、実際には4999万ドル(同約73億5753万円)という額でした。これは、「バイパー」をスピーディに市場投入するための秘策といえました。エンジン単体でさえ3000万ドル〜4000万ドル(同約44億円〜59億円)を要していた時代に、車両すべてを5000万ドル以下で開発するという制約はチームに極度の創意工夫を強いることになりました。

 一方、「バイパー」の心臓部であるV10エンジンの開発には、意外な協力者がいました。当時、クライスラーが傘下に収めていたランボルギーニです。

 大型アルミ鋳造に必要な設備を持つランボルギーニの技術と、当時、F1エンジンを供給していた同社でチーフエンジニアを務めていたマウロ・フォルギエリの知見が投入されたのです。

●始まりと終わりは「バイパー」らしく伝説的

 そんな「バイパー」の最後の5年間は、まさに苦難の連続でした。

 年間販売台数が800台を下回る状況が続き、2017年の最終年にはわずか585台しか売れませんでした。

 645馬力のV10エンジンを搭載する手づくりのスーパーカーであるにも関わらず、マーケットはこの荒々しい野獣をもはや求めていなかったのです。

「バイパー」も進化を続けていたとはいえ、デビューからはあまりにも時間が経過していたことは否めません。そんな状況下に現れたのが、シボレー「コルベットZ06」という強烈なライバルです。

 650馬力という「バイパー」を上回るパワーを、より安価で提供した「コルベットZ06」は、「バイパー」の牙城を容赦なく崩していきました。

 さらに追い打ちをかけたのが、同じグループ内に707馬力を発生するダッジ「チャレンジャー ヘルキャット」が登場したことです。

 より実用的で安価、それでいて同等に過激な「チャレンジャー ヘルキャット」の前に、「バイパー」の存在意義は大きく揺らぎました。まさか、身内に足を引っ張られることになるとは……。

 そうした中、「バイパー」に真の終止符を打ったのは、アメリカの連邦自動車安全基準226でした。これは、サイドカーテンエアバッグの装着を義務づけるものです。

「エアバッグくらい、なんとかなるのでは?」と思われるかもしれませんが、これが「バイパー」にとって致命的な要求でした。

 低く構えたクーペボディに、限界まで切り詰められた室内空間を内包していた「バイパー」にとって、狭いキャビン内にエアバッグを配置し、それらを安全に展開させるだけのスペースは存在していませんでした。

 搭載するには全面的な設計変更か、高度な技術的解決策が必要でしたが、当時の「バイパー」の販売台数では、そのための投資を正当化することは不可能だったのです。

「バイパー」が生産終了へと向かう2016年、最も完成度の高いモデルが登場しました。「バイパーACR(American Club Racer)」です。

 このモデルは、『モータートレンド』誌の“ベスト・ドライバーズ・カー”テストにおいて頂点に立ち、はるかに高額なエキゾチックスーパーカーたちさえも圧倒しました。

 しかし、その栄光も遅すぎました。「バイパー」の居場所はすでに、マーケットから失われていたのです。

 サーキット走行に特化し、純粋にドライビングの楽しさを追求した「バイパーACR」は、このモデルが本来目指していた究極の姿でしたが、結果的にその誕生は、終焉への序章でもありました。

* * *

 時は流れ、「バイパー」の生産終了から7年後となる2024年に起こった出来事は、このクルマの本質を象徴するものでした。

 なんとこの年、1台の新車の「バイパー」が販売されたのです。8年間、ディーラーの片隅で眠っていた最後の1台が、新たなオーナーの元へと旅立っていったのです。

 これは実に「バイパー」らしい終わり方かもしれません。派手な花火も感傷的な別れもなく、ただ静かに、しかし確実に、ひとつの伝説が完結したのです。

Gallery 【画像】「えっ…!」最後の1台は2024年に売れた!? これがダッジ「バイパー」の栄光のヒストリーです(13枚)
「カチッ」と日常をオフに。至福の時を刻む、マインドフルネス

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