歴代「GT-R」のレーシングカーは何がスゴかった? 伝説の“ハコスカ”から圧倒的な強さを誇った“第二世代”まで「戦う“R”の系譜」とは
グループAで無敵を誇ったR32とJGTCをわかせたR34
「GT-R」の“R”はレーシングの頭文字。R32型「スカイラインGT-R」もまた、その使命を背負って生まれたモデルでした。
2.6リッターという排気量が選ばれたのも、当時のグループA規定に合致させるため。1990年の「全日本ツーリングカー選手権(JTC)」初戦で「カルソニック スカイライン」(星野一義/鈴木利男組)がポール・トゥ・ウィンを飾ると、そこから“平成の「GT-R」伝説”が幕を開けます。
その後、JTCのグループAクラスは事実上の「GT-R」ワンメイク状態となり、1993年のシリーズ終了まで無敗の29連勝という圧倒的な記録を打ち立てました。
展示された「STP タイサンGT-R」は、最終シーズンとなった1993年にエントリーしていた1台。レース界のレジェンドである高橋国光と、“ドリキン”こと土屋圭市のコンビがドライブし、同年の第2戦で優勝を飾った車両です。
1999年、R34型「スカイライン GT-R」は「全日本GT選手権(JGTC)」へと参戦します。
このマシンの特徴は、車両規定に合わせて駆動方式を4WDからFR(後輪駆動)に変更したこと。「ペンズオイル・ニスモGT-R」の1号車は、エリック・コマスと本山哲(第2戦のみアンデルス・オロフソン)がステアリングを握り、コマスが見事ドライバーズチャンピオンに輝きました。
そして、R34にとって最後のJGTC参戦となった2003年シーズン。「ザナヴィ・ニスモGT-R(23号車)」は本山哲とミハエル・クルムのコンビで参戦。意外にも全8戦をとおして優勝はありませんでしたが、安定して上位入賞を繰り返すことで、ドライバーおよびチームタイトルの2冠を獲得しています。
V6エンジン(VQ30DETT)に換装されていたこのマシンは、翌年から「フェアレディZ」へとバトンを渡す「GT-R」の有終の美を飾ったのです。

2012年、日産自動車のモータースポーツブランドであるNISMOは、FIA GT3規則に準拠したレース専用車「GT-R NISMO GT3」を発売。これにより「GT-R」は、再び世界のGTレースへと戦いの場を広げました。
GT3規定に合わせて駆動方式はFR化され、6速シーケンシャルミッションやパドルシフトを装備。ワークスチームだけでなく、多くのプライベーターにも愛されるマシンとなりました。
展示車は、2015年にオーストラリアの「バサースト12時間レース」に参戦した車両です。千代勝正、ヴォルフガング・ライブ、フローリアン・ストラウスの3名がドライブし、総合優勝を獲得。
1992年のR32 GT-R(グループA)以来、日産に23年ぶりとなるバサースト優勝をもたらした記念すべきモデルとして、その歴史に名を刻んでいます。
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「戦うクルマ」としての宿命を背負い、サーキットで進化を続けてきた「GT-R」。今回展示されたマシンは、その輝かしい戦歴とともに、技術者たちの情熱を現代に伝えています。
偉大なR35型のヒストリーは幕を閉じましたが、それは「GT-R」の終わりではありません。ハコスカから脈々と受け継がれてきた“速さへの渇望”がある限り、その物語はこれからも続いていくことでしょう。
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