歴代「GT-R」のレーシングカーは何がスゴかった? 伝説の“ハコスカ”から圧倒的な強さを誇った“第二世代”まで「戦う“R”の系譜」とは
伝説の幕開けは「辛勝」だった? 怒涛の連勝記録を記録した“ハコスカ”
日産のR35型「GT-R」の生産終了を受け、日産グローバル本社ギャラリーにて開催された特別展示イベント「FOREVE“R”~GT-Rファンは永遠に~」。会場には歴代モデルが勢ぞろいしましたが、その中には市販車のほかにレーシングカーの姿もありました。今回は、「GT-R」伝説のきっかけとなった、各世代のレーシングカーをご紹介します。
「GT-R」伝説の始まりは、1969年5月に富士スピードウェイで開催された「JAFグランプリ」までさかのぼります。
クラブマンドライバーが主体となったこのレースには、1964年に設立されたプリンス及び日産系レーシングクラブ「PMC・S(プリンスモータリストクラブ・スポーツ)」から多数の「スカイライン 2000GT-R」がエントリーしました。
しかし当時の水準からすれば、未曽有のハイパフォーマンスカーであった「GT-R」は、プロのドライバーであっても扱いに苦戦。多数が脱落するという波乱の展開となりました。結果は、篠原孝道選手の駆る39号車が判定勝ちで優勝。「GT-R」の初陣は、ドライバーたちにとって過酷な“辛勝”として記録されています。
しかし、その後の活躍は周知のとおり。怒涛の49連勝を含む通算52勝という金字塔は、クルマの素性のよさはもちろん、ステアリングを握り続けたレーサーたちの成長の物語でもありました。
今回展示された車両は、その栄光の第一歩となった「1969年 JAFグランプリ優勝車」を再現した仕様。公式スペックでは、市販車を上回る最高出力210ps/8000rpm、最大トルク20.0kgm/6000rpmを発生したとされています。

そんな日本のレースシーンを席捲した初代「GT-R」の後を受け継ぐはずだった2代目のKPGC110型は、サーキットでは「幻の“R”」に終わった悲劇のマシンでした。
1972年9月のフルモデルチェンジ直後、「東京モーターショー」に出展された「スカイライン 2000GT-R レーシングコンセプト」は、翌1973年シーズンからの実戦投入を予感させるゼッケン「73」を掲げ、ファンの期待を一身に集めました。
しかし、排ガス規制やオイルショックといった時代の荒波にもまれ、日産はワークス活動の休止を決断。このマシンが実戦に投入されることはありませんでした。

歴史に埋もれてしまったこのコンセプトモデルですが、当時の関係者によって長年大切に保管され、2007年に「日産名車再生クラブ」の手でフルレストアを実施。同年の「NISMOフェスティバル」でデモランをおこない、30年以上の時を経て、夢であった公の場でのサーキットデビューを果たしています。
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