多くの名車を手がけた「カーデザイン界の巨匠」のスゴさとは? ジウジアーロ作品に息づく「天才的な才能と製品への深い愛情」
日本のメーカーとも深い関係にあったジウジアーロさん
ジウジアーロさんは、日本のメーカーとも深い関係にありました。それを示す代表例が、1979年に発表されたいすゞの「アッソ ディ フィオーリ」。スペシャルティモデル「117クーペ」の後継モデルとなる初代「ピアッツァ」を想起させるコンセプトカーです。

ギア在籍時代に、ジウジアーロさんは「117クーペ」のデザインも担当。その開発中、ジウジアーロさんはギアを離れてイタルデザインを立ち上げたのですが、いすゞとの関係は続き、イタルデザイン初の仕事として量産車デザインの指導に当たっています。
「アッソ ディ フィオーリ」は“クラブのエース”を意味し、当時、イタルデザインが手がけていた量産車へとつながるコンセプトカー「アッソ」シリーズの集大成として発表されました。
その後、同車は、部分的な修正が加えられただけで、いすゞのコンセプトカー「いすゞX」として「東京モーターショー1979」に登場。その後、1981年に初代「ピアッツァ」が誕生したのでした。
初代「ピアッツァ」のデザインは、内外装ともに「アッソ ディ フィオーリ」のそれを受け継いでおり、特徴的なデジタルメーターやサテライトスイッチを採用したコックピットもコンセプトカーそのもの。初代「ピアッツァ」のモダンな雰囲気を醸し出す、欠かせないアクセントとなりました。
初代「ゴルフ」の登場で人気が高まっていたハッチバック市場にイタリアのランチアが投入したのが、1979年にデビューした「デルタ」。同社がそのデザインを依頼したのは、ライバル「ゴルフ」を手がけたイタルデザインでした。
ただし、「デルタ」のコンセプトは「ゴルフ」と大きく異なり、質実剛健な実用車ではなく、手ごろなサイズで使い勝手のいい“小さな高級車”を目指していました。
当時のランチアはフィアット傘下に収まって間もない頃で、独自性を失いつつありました。そこでジウジアーロさんはエレガントでスポーティ、先進的なブランドというランチア本来のブランドイメージを取り戻すべく、「デルタ」のデザインに当たったそうです。
ちなみにデザインの原点となったのは、「アッソ」シリーズの第1弾である「アッソ ディ ピッケ」だったとのこと。そのベースはアウディの「80」でしたが、確かによく見るとデザインに多くの共通点があります。
日本で「デルタ」といえば、ラリーで活躍した「HF 4WD」や「HFインテグラーレ」を思い出す人が多いでしょうが、1981年にその4WD仕様のプロトタイプを製作したのもイタルデザインだったそうです。
1980年にデビューを飾ったフィアットの初代「パンダ」も、ジウジアーロさんの代表作のひとつ。オイルショックや度重なる工場でのストライキなどが原因で新車開発が思うように進んでいなかった当時のフィアットが、ジウジアーロさんに依頼して生まれたイタリアンベーシックカーです。

フィアット側から提示された条件は、搭載エンジンとコスト、重量の3つだけ。つまり、基本的な構造まで開発を託される大仕事でした。
初代「パンダ」を振り返り、ジウジアーロさんは「あの時代だからこそ自由にデザインできた」と後のインタビューでコメントしています。
ガラスまでフラットな直線基調のシンプルな意匠ながら、味わい深いスタイルが魅力的で、イタリアの鬼才が追求した究極のシンプルさの中には、多くの工夫や遊び心が盛り込まれていました。結果、イタリア以外の国でも愛される存在となり大ヒット。ちなみに今回の展示車は、特徴的な左右非対称グリルを装着した初期型でした。
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