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多くの名車を手がけた「カーデザイン界の巨匠」のスゴさとは? ジウジアーロ作品に息づく「天才的な才能と製品への深い愛情」

ジウジアーロさんの才能と製品への深い愛情を実感

 クラシックカーを中心とした自動車文化を愉しむイベント「オートモビルカウンシル2025」にスペシャルゲストとして招かれたのは、イタリアの工業デザイナーの巨匠であるジョルジェット・ジウジアーロさん。会場にはその作品を集めた「ジョルジェット・ジウジアーロ展“世界を変えたマエストロ”」も設けられました。

いすゞ「アッソ ディ フィオーリ」
いすゞ「アッソ ディ フィオーリ」

「ジョルジェット・ジウジアーロ展“世界を変えたマエストロ”」のコーナーには、1960年代から現代まで、ジウジアーロさんが手がけた10台の名車を展示。10台の中には高級車やスポーツカーはもちろんのこと大衆車も含まれており、それぞれを見るだけでもジウジアーロさんの天才的な才能と工業製品への深い愛情を感じ取ることができました。ここからは、そんな10台を古い作品から順に見ていきましょう。

 1963年にデビューしたのはアルファ ロメオ「ジュリア スプリントGT」。当時、イタリアのカロッツェリア・ベルトーネに在籍していた若き日のジウジアーロさんの出世作といわれるモデルです。

 驚くべきは、そのデザインを仕上げたのは徴兵中のことで、イタリア軍のキャンプで生み出されたこと。上官の許可を得て、自由時間をベルトーネの仕事に充てて仕上げたそうです。

 特徴的な配置となっているヘッドライトは、「当時の常識だった“ヘッドライトから始まる峰”を、フロントエンドの表情の起点にしたくなかったから」と、ジウジアーロさんは後のインタビューで話しています。

 当時のアルファ ロメオと比べてモダンなスタイルは、若き日のジウジアーロさんの勢いを感じさせるのはもちろんのこと、今なお多くのファンが存在します。1966年に登場するアルファ ロメオ「1300GTジュニア」も同じボディを使用し、基本的なデザインを受け継いでいますから、いかに完成度の高いデザインであったかがうかがえます。

 ちなみに、ジウジアーロさんが自ら創設したイタルデザイン社でも、1970年代以降にアルファ ロメオのデザインを手がけています。

 続いて、1972年にデビューしたのはマセラティ「メラクSS」です。

 ジウジアーロさんは1966年にカロッツェリア・ギアへと移籍。そこでマセラティの後輪駆動スポーツカー「ギブリ」を担当し、成功を収めました。そしてイタルデザイン設立後、当時、続々と市場に投入されるミッドシップスーパーカーの開発を決断したマセラティから依頼を受けてデザインしたのが「ボーラ」と「メラク」でした。

 デザインと基本構造に共通点の多い2台ですが、「ボーラ」はV8エンジンを搭載する2シーターであるのに対し、「メラク」はV6エンジンへとダウンサイズしたことでキャビンのゆとりが増し、2+2のキャビンを確保。結果、価格と機能面で有利な「メラク」がヒットすることとなりました。ちなみに今回展示された「メラクSS」の“SS”とは、より高性能化が図られたグレードであることを意味しています。

「メラク」が斬新だったのは、「ボーラ」のファストバックスタイルを受け継ぎながらもリアもピラーのみを残し、エンジンフードを露出させることでエンジンの冷却性能を高めた“フライングバッドレススタイル”を採用したことでしょう。

 共通性を持たせながら、変化を加えるだけでなく機能性もアップさせてしまう点は、性能まで考慮してデザインを手がけるジウジアーロさんならではの思想が息づいているところといえるでしょう。

 次にフォーカスするのは、1974年にデビューしたフォルクスワーゲンの初代「ゴルフ」。後に世界の小型車のベンチマークとなる「ゴルフ」シリーズの原点であり、ジウジアーロさんの代表作のひとつでもあります。

フォルクスワーゲン初代「ゴルフ」
フォルクスワーゲン初代「ゴルフ」

“ビートル”こと「タイプI」などが採用していたRR(リアエンジン/リア駆動)レイアウトからの脱却を図り、FF(フロントエンジン/フロント駆動)の効率的な室内空間を持つ新世代モデルとしてデビュー。その後、フォルクスワーゲンの看板商品となり、世界中で大ヒットを記録したことはいうまでもないでしょう。

 最新の「ゴルフ」もハッチバックボディを基本とし、特徴的な“くの字”型のリアピラーなど特徴的なデザインエレメントを受け継がれています。ちなみに、初代「ゴルフ」と同じ時期に誕生した上級モデル「パサート」とスポーティカー「シロッコ」も、ジウジアーロさんの作品です。

 ジウジアーロさんの作品の中で、今なお多くのファンを魅了し続けている1台が、1978年にデビューしたBMW「M1」です。

 BMW M社初の専用モデルとなった「M1」は、当初、BMWとミッドシップ・スポーツカーの技術やノウハウに長けたランボルギーニとのコラボレーションによって開発が進められたのですが、そのデザインを担ったのがジウジアーロさん率いるイタルデザインでした。

 開発は順調に進んだものの、量産段階でランボルギーニ側の動きが遅かったことから、しびれを切らしたBMWは提携を解消。結果、イタルデザインが最終のアッセンブリーまで携わることになりました。

 それでも、商品化が大幅に遅延したことで生産台数が想定よりも少なくなった結果、グループ4のホモロゲーション獲得はならず。そのため、BMWのスポーツカーレース制覇という野望も夢に終わりました。

Next日本のメーカーとも深い関係にあったジウジアーロさん
Gallery 【画像】「えっ!…」世界的な名車をデザイン! これが自動車史に輝くジウジアーロ作品です(30枚以上)

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