ポルシェの“デザインの舞台裏”に日本人がいた! 第一線で活躍するカーデザイナー山下周一さん語る「ポルシェらしさ」の源泉とは?【The Interview】
ポルシェ移籍直後に味わった“社内コンペ”での洗礼
畑山さんとの出会いも人生における大きな転機となった山下さんですが、この日本スタジオにおいても、後のデザイナー人生を左右する運命的な出会いを果たします。
「入社して5年目でしょうか。日本スタジオにミヒャエル・マウアーが赴任してきたんです。なぜかは分かりませんが、気に入ってもらったのでしょう。その後、彼がサーブへと移籍する際、『周一、一緒に行かないか』とお誘いを受けたんです」。
マウアー氏といえば、ポルシェ愛好家ならご存知かもしれません。メルセデス・ベンツで「SLK」や「SL」などのデザインに携わった後、サーブを経て2004年にポルシェへと入社。21世紀のポルシェである「カイエン」や「マカン」、「パナメーラ」、そしてタイプ991、992の「911」を手がけたデザインディレクター、その人です。
「僕にとってポルシェは憧れでもありましたが、移籍できたのは運もありました。
実はその頃のポルシェは、『911』、『ボクスター』、『ケイマン』、『カイエン』の4モデルしかなく、『パナメーラ』というポルシェにとって5番目のモデルが誕生するか否かというディスカッションが盛んにおこなわれていた時期でした。ポルシェがもし、この『パナメーラ』をつくるなら、『周一も一緒に働こう』とマウアーは誘ってきたのです。もちろん、『パナメーラ』をつくるとなると、人を増やさなければなりませんからね。
正直にいうと、かなりやきもきした時期を過ごしたのですが、マウアーから『決まったぞ!』と連絡が入ったら『じゃあ行きます』と即決です。運とタイミングがよかったんですね(笑)」

にこやかに当時を思い出しながら、控え目に語る山下さん。いかにも日本人らしさを感じさせる言動ですが、先のコメントは話半分にうかがってこそちょうどよいのかもしれません。何しろ、世界各国のカーデザイナーが憧れるポルシェのこと。すでに2社をともにした上司=マウアーさんからのオファーは、当然、山下さんの実力を見込んでのことでしょう。
こうして、2006年にポルシェのカーデザイナーというポジションを得た山下さんは、同社の第一印象を次のように振り返ります。
「『ここはクルマ好きの集団だな』とまずは思いました。今では組織も大きくなったので、ただクルマが好きという人ばかりではない、というのも多少ありますが、本質は変わっていないでしょうね。
なかには、わざわざ日本から程度のいい中古のポルシェを輸入してきて、そのヒストリーを調べながら『周一、これはなんて書いてあるんだ?』と尋ねてくるスタッフもいるほどです」
一方、憧れのポルシェのカーデザイナーということで、かつてないプレッシャーも感じたともいいます。
「経験のあるデザイナーとして入社しましたし、見た目には堂々としていたつもりですが、実はプレッシャーに押しつぶされそうだと感じたこともあります。
僕が担当しているエクステリアにフォーカスすれば、“ポルシェであって、かつ新しくなければならない”のです。見た目がポルシェで、先進的で、なおかつ機能に基づいていて、さらにいえばドイツ的でもある、ということの難しさですね」
ポルシェでは世界各国から来たデザイナーが働いています。新たなエクステリアプロジェクトがスタートすると、同部門のデザイナー全員が参加の権利を有するコンペティションが実施されるのだとか。スケッチから1/3モデルや原寸大モデルへと徐々に具体的なカタチに進化を重ね、複数回の選考により候補が絞り込まれ、最終的に残った1案が採用されるそうです。
そんな“スタイル・ポルシェ”に籍を移した山下さんが最初に取り組んだモデルは、2011年にデビューを飾った7代目となるタイプ991の「911」でした。
「ポルシェに移籍して最初の仕事でしたし、つらかったという意味でもタイプ991は印象に残っています。デザインコンペで勝ち残っていくと、僕自身の中でも期待値が上がっていきますし、一方で細かい設計要件も徐々に求められます。最後の2案まで残って、原寸のクレイモデルまでつくられましたが、結果は負けてしまって……。あまり語りたくない過去でもありますね」
華々しくも、ちょっと切ないデビューとなりましたが、以降、山下さんは数々のポルシェ車のエクステリアに携わるようになります。
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