ポルシェの“デザインの舞台裏”に日本人がいた! 第一線で活躍するカーデザイナー山下周一さん語る「ポルシェらしさ」の源泉とは?【The Interview】
山下さんはいかにしてカーデザイナーへの道を切り拓いたのか
現在では「911」に代表されるスポーツカーだけでなく、サルーンやSUVといった多彩なラインナップを展開しているポルシェ。にも関わらず、遠目にも他のクルマに埋没することなく、ひと目で「ポルシェだ」と分かる自動車愛好家も多いことでしょう。
ポルシェの代表作である「911」の初代モデルをデザインしたF.A.ポルシェこと、フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェは「Überdenkt man die Funktion einer Sache, ergibt sich die Form manchmal wie von allein.=何かの機能を想像すれば、形状はおのずと浮かび上がってくる」という言葉を自身のデザイン哲学としていました。この言葉どおり、ポルシェといえば機能主義を貫き、“形態は機能に従う”を体現するブランドとして知られています。
これは決して“デザインは二の次”ということではなく、虚飾を排して車種やグレード、機能に寄り添ったデザインを追求せよ−−という意味なのだと筆者(村田尚之)は思います。何やら禅問答のようでもありますが、高度なデザインポリシーに基づいて世界屈指のデザイナーたちが日々研鑽を重ねているのです。
さて、そんなポルシェの車両デザイン部門である“スタイル・ポルシェ(服飾や工業デザインを手掛けるポルシェ・デザインとは別)”には、長年にわたり第一線で活躍する日本人デザイナーが在籍していることをご存知でしょうか?
山下周一さん。1961年、東京都生まれ。
山下さんはどのようにしてポルシェへと入社したのか? まずはその辺りからお話をうかがってみましょう。

「高校卒業後に進んだデザイン学校では2次元と3次元の課程がありましたが、僕は3次元を学びたいと思っていたんです。将来的には、玩具などのデザイナーになりたいと思っていたのです。当時は、カーデザイナーという仕事があるということさえも知らなかったんです。
その後、たまたま見た『カースタイリング』という雑誌に、クルマの製作工程が載っていたんです。デザイン画や1/1のテープドローイング、そしてクレイモデルなどが掲載されていました。それらにはデザイナーの手が入っていることを知り、とても衝撃を受けたんです」
そういって、当時の鮮烈すぎる記憶を振り返る山下さん。その後、いったん日本で就職した山下さんですが、海外研修でドイツへ渡る機会を得たといいます。そこで、雑誌で知った海外で活躍する日本人カーデザイナーの畑山一郎さんにコンタクト。現地で会う約束を取りつけます。この出会いとそこで受けたアドバイスがきっかけとなり、20代半ばの山下さんはアメリカ行きを決意します。
「日本から遠く離れたドイツで、日本人がデザイナーとして活躍していることに心の底から衝撃を受けました。そして、畑山さんのアドバイスなどもあり、アメリカのカリフォルニア州パサデナに拠点を置く、私立美術大学アート・センター・カレッジ・オブ・デザインに入学したのです。この学校は当時、スイスに分校があり、ヨーロッパで働きたいという思いから、後半はそちらへ転校しました」
こうして無事にアート・センターを卒業した山下さんはデザイナーとしての職を探すことになり、晴れてメルセデス・ベンツへとデザイナーとして就職します。
「ちょうど、メルセデス・ベンツが日本にスタジオを設けるタイミングで、僕は日本スタジオでの職を得ました。実は日本の会社も受けたのですが、すでに30歳を超えていましたから、お断りされてしまったのです(苦笑)」
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