カウンタックにF40、ミウラにテスタロッサ…クルマ好きなら憧れるスーパーカーはなぜ「イタリア車」が多い? フェラーリ&ランボだけじゃないその理由とは
なぜイタリア以外で「スーパーカー」は育たなかったのか?
イギリスやフランス、ドイツといったヨーロッパのほかの国々でも、第二次世界大戦後に自動車産業が大きく発達しています。
にもかかわらず、スーパーカーと呼ばれるクルマはなぜイタリアを中心に発達することとなったのでしょうか?

そこには、各国の政策やモータースポーツに対する考え方が大きく関係しているようです。
たとえば、イギリスでは1900年代初頭から極めて厳しい速度制限が存在しており、公道を用いたレースは事実上不可能でした。そのため、世界最古の常設オーバルコースである「ブルックランズ」が誕生するなど、サーキットでのレースがメインとなりました。
また、モータースポーツ発祥の地であるフランスでは、観客を巻き込む死亡事故が多発したことから、政府によって公道でのレースが禁止されています。したがって、やはりクローズドの場所でのレースがおこなわれることとなりました。
ドイツの場合、自動車産業そのものが国家政策としてはじまったという側面が強く、エンツォ・フェラーリ氏のように、個人の情熱でモータースポーツをおこなうようなことが起こりにくかったという経緯があります。
一方、イタリアでは「タルガ・フローリオ」や「ミッレ・ミリア」という公道レースが古くから存在しており、速さはもちろん「魅せる」ことも文化として根付いていました。
その背景には、1910年代から1920年代にかけてイタリアを席巻した「未来派(フューチャリズム)」という思想が深く関係していたと言われています。
「未来派」の創設者であるフィリッポ・マリネッティ氏は「機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、サモトラケのニケよりも美しい」と述べるなど、クルマを近代化の象徴として位置づけました。
そのあまりに急進的かつ過激な思想はファシズムと相性がよく、戦争を賛美するという危険極まりないものでした。
しかし、こうした思想がイタリアに公道レースを根付かせ、ひいてはイタリアの自動車産業に少なくない影響を与えたことはたしかです。
※ ※ ※
現在の「モーターバレー」には、フェラーリやランボルギーニにくわえて、パガーニやダラーラ、あるいはマセラティなどが本拠地を置いています。
その成り立ちはそれぞれですが、どのブランドにも上で述べたようなイタリアの歴史が深く関わっていることは言うまでもありません。
page
- 1
- 2
VAGUEからのオススメ
ポータブル電源が都心で過ごす夜を変える──Jackeryがかなえる“オフグリッド”なスポーツ観戦【PR】