「旅なんて嫌いだ、でも……」アメージング・タイランドをめぐる、狂騒と静寂の5日間トラベルレポート
ーチャオプラヤ河と、時間と、日常とー(エピローグ)
なんだか原稿がとんでもなく長くなってしまった。申し訳ない。ここまで読んでいただいた方には、もののついでに、最後に少しだけお付き合い願いたい。
旅の道中、バックパックに忍ばせていた本が、妙に印象に残った。
それはヘルマン・ヘッセの不朽の名作『シッダルタ』(高橋健治訳、新潮文庫)の中で、主人公シッダルタが川の流れから時間の真理を悟るシーンだ。
――「川にとっては現在があるのみで、過去という影も、未来という影もない。」

つまり、私たちが日頃囚われている過去の後悔や未来への焦燥は、すべて幻影であり、本当に存在しているのは「いま、この瞬間」だけという一節である。
タクシーの相場を平然と誤魔化し、ムーカタ鍋を囲んで大声で笑い、寺院では一心不乱に祈りを捧げ、リングの上では血を流しながら拳を交える。タイの人々のあのたくましさ、どこか身勝手で、けれど憎めない力強さの正体。
少なくとも、この5日間で出会った人々は、「いま、この瞬間」という強烈な現在を生きているように見えた。

刹那的な生き方、混ざり合う熱気、祈りと欲望。
ずっと感覚がバグっていた時間の正体も、腑に落ちた気がする。
あのチャオプラヤ河のような、渾然一体となったドロッとした生のエネルギーに、私はいつの間にかノックアウトされ、魅了されていたのだ。
サワディーカープ。
* * *
この記事を書きながら、飛行機は日本へ向けて飛んでいる。
明日からはまた、コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスを気にかけ、パズルのように組み上げた日常のルーティンを取り戻す日々が始まる。持ち帰りすぎて重くなった心身を少しずつ整理しながら、現実へと戻るのだ。
旅なんて嫌いだ。平穏な日常を乱されるから。
だけど、やっぱり人生にはこれが必要なのだ。
世界にはまだ、知らない、がいっぱいある。
――さて。次は、どこへ行こう。
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