テレビは画質だけで完成しない――吸盤を引っ張り、1mmを削り、震度7と戦ったパナソニック「転倒防止」開発の裏側
机の上の円盤は、力を加えても離れなかった
今回取り上げるのは、パナソニックのテレビ「VIERA」に搭載される転倒防止スタンドです。テレビの価値は、画質や音質だけで決まるものではありません。
大画面テレビが家族の集まるリビングに置かれる以上、地震や子どものいたずらで倒れにくいことも、安心して映像を楽しむための大切な条件です。
取材時に机の上に置かれた分解モデルや吸盤、画面に映し出された試験写真、そして実際に開発に関わった二人の言葉を追っていくと、地震試験機が激しく揺れ、設計者とデザイナーがスイッチの位置を巡って議論し、吸盤を何度も引っ張った開発の日々が見えてきました。

吸盤の正体は、スタンドの内側にあった
取材室の一角に、透明な板が天板の箱が置かれていた。箱の上には、黒い円盤と白いハンドルがある。「上に引っ張ってお試しください」と書かれている。
ハンドルを握り、上へ力を加える。一定の重量があるにも関わらず、透明の板が箱ごと浮かびあがる。
力を強めても、黒い円盤は透明な板から離れようとしなかった。箱の中をのぞき込むと、円盤の下に半透明の大きな吸盤が見える。これが、VIERAの転倒防止スタンドに使われている技術を体感するための展示機だった。

テレビを買うときには出てこない不安
説明してくれたのは、パナソニックテレビ事業部 事業戦略部 商品企画課 主幹の小寺洋平さんと、商品技術部 プロジェクトマネジメント課 主幹の川副嘉郎さん。
小寺さんは、転倒防止スタンドが生まれた初期プロジェクトに、設計・技術側のメンバーとして参加した。現在は商品企画を担当している。
川副さんは、転倒防止スタンドの構造設計や、薄型化、大画面化への対応など、その後の進化を技術面から支えてきた。
転倒防止スタンドの開発が始まったのは、2016年頃だった。
きっかけは、耐震技術をつくるための専門プロジェクトではない。元々は日本のシニア層にとって、本当に使いやすいテレビとは何かを考える企画が始まりだった。
テレビを買うとき、多くの人が見るのは画質、画面サイズ、そして価格だ。しかし、購入後の暮らしを調べてみると、店頭では見えなかった不満が現れた。テレビの周りを掃除しにくい。リモコンのボタンが多い。そして、地震が起きたらテレビが倒れてきそうで怖い。
「購入するときには、やはり画質や大きさ、価格が大切です。でも買ったあとには、地震が来たら倒れてこないか、お手入れしやすいかといった不安が出てきます」(小寺)
小寺さんはそう振り返る。
テレビには、転倒防止用のバンドが付属していた。これで壁やテレビ台に固定すれば、転倒を抑えられる。それでも、実際には使われていない家庭が少なくなかった。
付属品が入っていたことを覚えていない。設置業者に任せたため、取り付けられているか分からない。テレビ台へネジを打ちたくない。対策はしたいが、手間はかけたくない。
パナソニックの調査では、約3割がテレビの転倒に不安を感じる一方、約4割が転倒対策をしていなかった。
安全対策が用意されていても、使われなければ役に立たない。そこで開発者たちは、使う人に対策を求めるのではなく、テレビ自身が倒れにくくなる構造を考え始めた。]
「バンドを付けるのが面倒だということは分かっていました。では、お客様に手軽に、安全・安心な状態で設置していただくにはどうしたらいいのか。そこから考え始めました」(小寺)
ユーザーが安全対策をしないのではない。いまある安全対策が、ユーザーの暮らしに合っていなかったのだ。

60kgのテレビが飛んできた
当時、阪神・淡路大震災を経験した人がパナソニック社内にもいた。そこで聞いた言葉が、小寺さんの今でも記憶に残っている。
「昔のブラウン管テレビは60kg、70kgもありました。それが地震のときには、飛んできたと言うんです」(小寺)
テレビは、家の中でも目につきやすい。大きな画面が揺れれば、反射する光も動き、地震の激しさが視覚的に伝わってくる。近くに子どもがいるかもしれない。就寝中の人がいるかもしれない。
薄型テレビは、かつてのブラウン管テレビより軽い。だが、画面は大型化し、パネルは薄くなり、スタンドには省スペース性が求められる。映像を映すための大画面が、倒れれば人を傷つけるものに変わりかねない。
スタンドを大きく、重くすれば倒れにくくはなる。しかし、それではテレビ台へ置けなくなる。接着剤で固定すれば動かせない。壁や家具に穴を開ければ、ユーザーの負担になる。安全性だけを優先するわけにはいかなかった。
工場で液晶パネルを持ち上げていた吸盤
では、テレビを傷つけず、家具にも穴を開けず、置くだけで倒れにくくするにはどうすればいいのか。ヒントは、テレビをつくる工場の中にあった。
「液晶テレビの工場では、液晶パネルやガラスを持ち上げるために吸着装置を使います。そこから吸引力を使えば、テレビを倒れにくくできるのではないかと考えました」(小寺)
小寺さんが説明のために画に映し出したのは、宇都宮工場で修繕中のテレビの液晶を吸盤で持ち上げるシーンだった。繊細な液晶パネルを運ぶための吸盤のついた装置。その原理を、家庭用テレビの薄いスタンドの中へ収める。
発想はシンプルだ。だが、工場の設備と、何年もリビングに置かれるテレビでは条件がまるで違う。電動ポンプを使うわけにはいかない。常に電気を消費する構造にもできない。ユーザーが毎日メンテナンスすることも想定できない。そして、テレビを移動したいときには、簡単に解除できなければならない。
ここから、設計側の長い試行錯誤が始まった。

その吸盤は、普段はくっついていない
川副さんが、一般的な吸盤との違いを図で説明してくれた。
浴室の壁にフックなどを取り付ける一般的な吸盤は、最初に強く押し付けて変形させる。吸盤が元の形へ戻ろうとすることで内部が真空に近づき、大気圧との差によって壁へ吸着する。しかし、時間がたつと少しずつ空気が入り、いつか外れる可能性がある。
テレビは、10年近く同じ場所で使われることもある。設置した瞬間につくった真空状態を、何年も保ち続ける方法では、長期信頼性に課題が残った。
そこでパナソニックが考えたのが、普段は吸着力を発生させない構造だった。
「設置した状態では、シリコンの吸盤はほとんど変形していません。地震などでテレビが持ち上がろうとしたときに吸盤が引っ張られ、そこで初めて内部に気圧差が生まれます」(川副)
テレビが普通に置かれている間、吸盤の内側は真空ではない。地震や子どものいたずらでテレビが傾き、スタンドが設置面から浮こうとした瞬間、シリコンの吸盤が引き伸ばされる。吸盤内部の容積が広がる。内部の気圧が下がる。外側の大気圧との差が生まれ、吸着力を発揮する。

倒れそうになった瞬間にだけ、強く吸い付く。
パナソニックでは、この考え方を「パッシブバキューム構造」と呼んでいる。
電気も、モーターも、センサーも使わない。地震で生まれた力そのものを利用して、テレビを設置面へ引き戻す。

吸盤だけでは成立しない、スタンド内部の構造
「普段から強くくっついている必要はありません。外力が発生したときに吸着すればいい。構造をシンプルにできたことが、長期的な信頼性にもつながっています」(川副)
一般的な吸盤は、先に吸着させ、その力を保とうとする。VIERAの吸盤は、必要になったときに吸着力をつくる。似ているようで、考え方は反対だった。
吸盤を外すためのスイッチが必要だった
強く吸着するだけでは、製品として成立しない。掃除をしたい。配線を変えたい。模様替えをしたい。引っ越しでテレビを運びたい。必要なときには、吸着を解除できなければならない。
転倒防止スタンドには、吸盤内部へ空気を入れるための弁が設けられている。スイッチを操作すると弁が開き、内外の気圧差がなくなり、テレビを動かせるようになる。

スイッチをなくす「自動解除」案もあった
開発初期には、テレビを持ち上げるハンドルと解除レバーを一体化する案もあった。
テレビを置けば自動的に固定され、背面のハンドルを持ち上げれば解除される。ユーザーがスイッチを意識しなくても安全機能が働く、合理的なアイデアだった。
しかし、テレビには電源やアンテナなどのケーブルがつながっている。大型化すれば、ハンドルを持って簡単に持ち上げることもできない。
さらに、吸着していることを知らない人がテレビを動かそうとすると、テレビ台ごと引っ張ったり、無理に持ち上げて腰を痛めたりする可能性もあった。
便利な自動機構が、必ずしも使いやすいとは限らない。最終的に、ユーザーが吸着状態と解除状態を理解できる、物理スイッチが採用された。

「こんな場所にスイッチを付けるのか」
初代の転倒防止スタンドには、前面に大きなシーソースイッチが付いていた。安全機能のスイッチとしては分かりやすい。だが、テレビのデザインとして見れば、目立つ。
「デザイナーからは、『こんな前に不格好なスイッチを付けるのか』という話がありました」(小寺)
小寺さんは笑いながら振り返る。
2018年は、テレビの薄型化やミニマルなデザインが強く求められていた時期でもある。
目立つボタンをなくしたいデザイナー。
新しい安全機能だからこそ、ユーザーの目に見える場所へ置きたい設計者。
目的は同じだった。安全で、使いやすく、美しいテレビをつくること。しかし、その実現方法が違った。
「最初から後ろへ隠してしまうと、お客様が機能の存在に気づきません。設置したあとに動かそうとして、『テレビが持ち上がらない』ということにもなります。まずは、分かりやすさを優先しようと考えました」(小寺)
初代のスイッチは、単なるデザイン上の妥協ではない。新しい安全機能を、ユーザーへ教えるために、あえて見せたスイッチだった。
オンとオフの状態を視覚的に確認できるシーソー形状。指で押したことが分かるクリック感。操作時の音。色を派手に使わなくても、目と指と耳で状態を理解できるようにした。
機能が販売店やユーザーへ浸透したあと、スイッチは背面へ移された。

薄いテレビの下に、厚いスタンドは置けない
前面にあった縦方向の機構を、背面で横へ動かすスライド式に変更することで、スタンドの厚みも抑えられた。
ただし、大画面テレビでは背面まで手が届かないことがある。そこで、万一の場合にはスタンド前側下部に刻まれた溝からスライドを引っ張ることで、解除できる仕組みも設けた。
後ろへ隠せば終わりではない。見えなくなった操作部へ、どうやって手を届かせるのか。デザインと安全性の調整は、次の課題を生んだ。
転倒防止スタンドが初めて搭載された2018年頃、テレビは有機ELによって、さらに薄くなろうとしていた。
パネルが薄くなればなるほど、スタンドの厚さが目立つ。しかしスタンド内部には、吸盤、弁、スイッチ、連結部品、テレビ本体を支える構造を収めなければならない。
吸盤を大きくすれば、吸着力は高まる。だが、スタンドは大きくなる。一般的なテレビ台の奥行きへ収まらない。薄型テレビの外観とも合わない。小さくすれば、必要な吸着力を確保できない。
「理論的な計算から簡易モデルをつくり、実際に試験をする。その繰り返しでした。必要な性能を確保しながら、デザインの中へ収められる最小の大きさを探していきました」(川副)
川副さんは、現在の吸盤について「かなり攻めたサイズです」と話す。
ぎりぎりまで小さくする。ただし、性能は落とさない。しかもテレビは55V型から65V型、75V型、77V型へと大型化していった。
スタンドだけで考えるのではない。テレビ本体の重量、重心の位置、スタンドへかかる力、吸盤を配置する場所。そのすべてを含めて、テレビ全体のバランスを設計する。

「かなり攻めたサイズ」を支える強度試験
画面に映った開発写真には、重りを載せた吸盤があった。別の写真では、フォースゲージで部品を引っ張っていた。
どれほどの力をかければ変形するのか。どこまで引けば離れるのか。汚れた状態でも機能するのか。スイッチを何度も操作しても壊れないか。
計算する。つくる。引っ張る。外す。汚す。また引っ張る。完成品のスタンドからは見えない仕事が、門真で繰り返されてきた。

震度6から、震度7相当へ
2018年に転倒防止スタンドを搭載してから、対応機種と画面サイズは拡大してきた。
現在のパナソニックは、実際の地震を再現した震度7相当の実証実験を行い、所定の条件下で転倒や部品の落下がないことを確認している。なお、いかなる条件でも転倒や落下を防ぐことを保証する機能ではない。
震度7へ対応するために、吸盤をまったく別の構造へ変えたわけではない。

大画面化するたび、安全の基準をつくり直す
「基本構造は第2世代をベースにしています。もともと設計に持たせていた余裕度に加え、本体の重心位置やスタンドとのバランス、吸盤の配置を調整して対応しました」(川副)
川副さんはそう説明する。耐震性能は、吸盤一個の性能では決まらない。
パネルが重くなれば、倒れようとする力も変わる。重心が数cm動けば、スタンドへかかる力も変わる。大画面化するたびに、地震試験を行う。
さらに、子どもがテレビを押したり引いたりすることを想定した「キッズ試験」も、新しいモデルごとに実施している。
共通する業界基準がなければ、自分たちで基準をつくる。どこまでの揺れを想定するのか。どの方向へ力を加えるのか。何をもって合格とするのか。
画質の解像度や明るさのように、既存の数値を追いかける開発ではない。安全の物差しそのものをつくる仕事だった。

地震がなくても、テレビは倒れかける
転倒防止スタンドが役に立つのは、大きな地震が起きたときだけではない。小寺さんが、日常の中で見た出来事を教えてくれた。
ある女性が立ち上がるときによろけ、反射的にテレビへ手をついた。大型で薄いテレビは、条件によってはそれほど大きくない力でも傾く可能性がある。だが、そのテレビは倒れなかった。
「もしこの機能がなかったら、倒れていたかもしれない。地震ではなくても、日常生活の中で役に立っていることを実感しました」(小寺)
子どもが画面へ手を伸ばす。高齢者が立ち上がるとき、家具へ手をつく。掃除中に体がぶつかる。テレビにとっては想定外の力でも、家庭では珍しい出来事ではない。
2019年、転倒防止スタンドは「子どもたちの安全・安心に貢献するデザイン」として、キッズデザイン賞の審査委員長特別賞を受賞した。当初はシニア層の不安を調べる中で生まれた機能が、子どもを含む家族全体の安全へ広がっていった。

見えない機能を、売り場でどう伝えるか
テレビの画質は、店頭で見比べられる。音質は、聴けば分かる。だが、転倒防止性能は、地震を起こさなければ体感できない。
そこでつくられたのが、冒頭の展示機だった。吸着状態では、ハンドルを引いてもスタンドは動かない。解除すれば、あっさり動く。
「発売から時間がたち、いまでは販売店の店員さんにもかなり定着しています。見えない機能ですが、体感してもらうことで価値を伝えられました」(小寺)
転倒防止スタンドは、2018年からVIERAの4Kモデルへ搭載されてきた。テレビの耐震基準を独自に設け、第三者機関で試験を行う姿勢も継続している。

画質と音質だけが、テレビの本質ではない
最初は「こんな前にスイッチを付けるのか」と言われた。しかし、まず存在を知ってもらい、売り場で触ってもらい、実際の地震で倒れなかったという声が届く。
そうして機能が理解されたからこそ、スイッチを背面へ隠し、より薄く美しいスタンドへ進化させることができた。安全機能を見せる段階から、意識させずに働かせる段階へ。それも、10年近く続いた進化のひとつだった。
取材の終盤、小寺さんが言った。
「画質や音質は、もちろんテレビの本質です。でも、安全・安心も同じくらい本質だと思っています。それがあるから、安心してエンターテインメントを楽しんでいただけるのではないでしょうか」(小寺)
テレビの転倒防止スタンドは、映像を明るくしない。黒を深くしない。音を立体的にもしない。
普段は、機能していることに気づくことさえない。それでも、倒れそうになった瞬間には、吸盤が変形し、設置面へ吸い付く。
画質にも音質にも関係のない、小さな構造。だが、その構造が守っているのは、テレビそのものだけではない。近くにいる人の安全であり、家族がリビングで安心して映像を楽しめる時間である。
吸盤を何度も引っ張る人。
厚みを1mmでも減らそうとする人。
安全のために前面へスイッチを出したい設計者と、それを美しく見せたいデザイナー。
画面が大型化するたび、もう一度地震試験を行う人。
テレビは、きれいな映像を映せば完成するわけではなかった。その映像を、家族が安心して見続けられる状態までつくる。それが、VIERAの中に隠されていたPanasonic Qualityだった。
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