VAGUE(ヴァーグ)

全19室に天然温泉! 「20年という時間が醸した佇まい」を体験――小樽「蔵群」で、温泉と北海道の食・酒に身を委ねてみた

館内で迷う時間にも「建築を味わう楽しみがある」

 今回の滞在で印象に残ったのは、館内が少し迷路のように感じられたことだった。次はどちらへ進むのか。周囲を見ながら歩くうちに、窓の位置や空間のつながりにも目が向く。その感覚を吉井さんに伝えると、改装時には案内表示を増やす案もあったと教えてくれた。

「蔵群」の入口と施設サイン
「蔵群」の入口と施設サイン

 「客室の位置とかも分かりづらいので、矢印などのサインをつけてほしいという話はしていたんですけど、あえてつけないことにしたんです」

「蔵群」の館内廊下
「蔵群」の館内廊下

 設計者である中山氏との話し合いで大切にしたのは、館内を巡りながら空間を見てもらうこと。行き先を探す時間も、建築に触れる機会になる。目的の場所へ急ぐ必要のない滞在だからこそ、その意図を楽しめるのだろう。

「蔵群」の館内のしつらえ
「蔵群」の館内のしつらえ

 中山氏が設計で大切にしてきたのは「閑」である。吉井さんによれば、年月による素材の変化も建築の表情として捉えており、今回の改装でも、ロビーや共用部の多くは従来の姿を残している。取材した場所にあるソファやテーブルも、中山氏が開業時に設計したものだという。

「蔵群」の共用スペース
「蔵群」の共用スペース

 一方、客室には同氏が新たに設計した家具も取り入れた。今回泊まった部屋は、従来分かれていた空間の壁を取り払い、リビングを広げている。ソファで横になっても余裕があり、一人では持て余すほどの広さだった。古くからの家具と、新しく設計された家具。同じ設計者が再び携わることで、宿の時間がつながっている。

「蔵群」の客室のリビング
「蔵群」の客室のリビング

 夜の館内には、座って初めて気づく仕掛けもある。吉井さんが教えてくれたのは、低い窓の先に茶室の明かりがぼんやりと見える眺めだ。窓は光や景色を取り込むだけでなく、そこで過ごす人の視線まで考えて設けられている。建築を見て回ることと、その中でくつろぐことが重なる宿なのである。

窓の外の小川と時間がつくる雰囲気

 新たな滞在の軸に据えたのが「醸す」という言葉だ。発酵を取り入れた食事や酒だけを指すものではない。吉井さんは、長い時間を経た建築が醸し出す雰囲気や接客の温かさにも、その言葉を重ねている。

 「まずは、20年という時間が醸した佇まいを感じていただきたい」

「蔵群」での取材風景
「蔵群」での取材風景

 新しい設備を加える際にも、もともとの設計思想を生かす。その考え方は、客室から見える景色にも通じている。今回泊まった部屋からは小川が見え、朝には窓から光が差し込み、青空や山の緑を眺めることができた。

「蔵群」の客室の窓から望む緑
「蔵群」の客室の窓から望む緑

 ただし、吉井さんによれば、眺めは客室ごとに異なり、中庭のようなしつらえにした部屋もある。宿が大切にしているのは、小さな自然の気配や、小川の音を静かな空間で受け取ることだという。

 客室に温泉を備えることも、自分のペースで過ごす時間につながる。景色を眺め、湯に入り、また部屋で休む。館内で体験することを次々に決めなくても、一日を過ごせる環境がある。翌朝、外へ出た際には、宿の中で過ごした時間と日常との間に、思いのほか大きな距離を感じた。

一杯の値段を気にせず、北海道の食と酒に出会う

 食事は専用の個室ダイニングで味わう。北海道の食材に発酵の技法を重ねた和食を軸に、地元のワインや日本酒とともに楽しめる。料理ごとの詳しい説明は写真に譲るが、今回の夕食には、小樽産のシャコや苫小牧産のホッキ貝、根室産のサンマなどが登場した。献立の産地を追うだけでも、北海道の広がりが感じられる。

「蔵群」の料理とワイン
「蔵群」の料理とワイン

 この宿では、食事の際の飲み物やバーでの飲食、客室のミニバー、ルームサービスなどをオールインクルーシブで提供する。一部の希少な酒は別料金となるが、その都度の支払いを気にせず、さまざまな味を試せる仕組みだ。吉井さんによれば、オールインクルーシブは開業時から受け継いできた考え方でもある。

 「値段を気にせず、北海道のいいものをゆっくり堪能していただく。それが一番の理由です」

 実際、夕食後にバーでジントニックを一杯頼むつもりでいたところ、違うタイプも勧めてもらい、飲み比べることになった。合わせる料理も出してもらい、地元のジンについて話を聞く。自分が知っているものを注文するだけでは終わらない楽しみがあった。

 ワインも、単に北海道産をそろえるだけではない。吉井さんによれば、スタッフがワイナリーのブドウ収穫を手伝うなど、造り手との関係を重ねているという。ソムリエからは、食事との組み合わせに加え、産地や生産者の話を聞くこともできた。一杯をきっかけに、まだ訪れたことのない土地への興味が湧いてくる。

 吉井さんが料理について挙げたのは、安心できる、落ち着いた味わいである。今回の食事も、酒を飲みながら食べ進めるうえで、量がちょうどよく感じられた。最後の和牛の握りまで味わい、その後はバーへ。食事だけで満腹にするのではなく、夜の時間全体を楽しめる余地が残っていた。

「蔵群」のバーカウンター
「蔵群」のバーカウンター

大浴場を貸切へ。湯に入る時間も“自分たちのもの”に

 今回の改装では、従来の大浴場を貸切で利用する温浴施設へと改めた。露天風呂を生かしながらサウナと水風呂を設け、客室の風呂とは異なる開放感を楽しめるようにしている。

 吉井さんがその理由として語ったのも、自分たちの時間を大切にしていただくという思いだった。家族で一緒に湯に入る人も、一人で静かに過ごす人も、ほかの利用者を気にせずにくつろげる。もともと大浴場だった広さを、貸切で味わうことができるのである。

「蔵群」の温浴施設
「蔵群」の温浴施設

 食事は個室、温泉は客室内にもあり、さらに貸切での湯浴みも選べる。吉井さんは、ほかの宿泊者と顔を合わせる機会の少なさも、この宿の特徴として挙げた。それぞれの場所で自分のペースを保てることが、滞在の落ち着きにつながっている。

 一方、宿の営みは地域へと広がっている。食材や酒を届ける人がいて、その背景を伝えるスタッフがいる。20年以上を経た建築も、改装や日々の手入れによって、これからの時間を重ねていく。

 館内を歩いて建築の工夫に気づき、食事やバーで北海道の造り手を知り、部屋に戻って川の音を聞く。新たな「蔵群」で過ごす一泊には、受け継がれたものをゆっくり味わいながら、この土地の今に出会う楽しみがある。

Gallery 【画像】小樽「蔵群」で体験した温泉・食・酒と20年の建築を見る

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