東京23区内を走る“超ローカル線”は なぜいまも残っている? 全長わずか1キロの“盲腸線” が誕生した「幻の計画」とは
幻の「西板線」構想:わずか1kmの東武大師線が持つ壮大な歴史
東京都足立区には、路線距離がわずか1kmという極めて短い「東武大師線(とうぶ・だいしせん)」があります。駅は西新井駅と大師前駅の2つだけで、途中駅はなく全線が単線という、23区内の鉄道路線としては非常に異例の規模です。
なぜ、このようなミニ路線が誕生したのでしょうか。
その背景には、かつて東武鉄道が描いた壮大なネットワーク構想がありました。

東武大師線は1931(昭和6)年に開業しましたが、もともとは「西板線(せいたんせん)」という名称で計画された路線でした。
この西板線は、現在の東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の西新井駅から、東武東上線の上板橋駅までの11.6kmを結ぶ予定でした。東武鉄道の2大幹線をダイレクトにつなぐ重要なルートとして位置づけられ、途中には鹿浜、神谷、板橋上宿といった駅の設置も予定されていたといいます。
しかし、この計画は予期せぬ災害によって破綻してしまいます。東武鉄道の担当者は、当時の中断理由について次のように説明します。
「認可申請の翌年である1923年9月1日に関東大震災が発生し、当社も大きな被害を受けました。その復旧作業に加え、東京全体の震災復興計画とも重なったことで、計画は一時中断を余儀なくされました。
その後、西新井〜鹿浜間については1925年4月に改めて認可を得ましたが、鹿浜〜上板橋間は経過地の復興計画が先行したため、線路の位置を各地で変更せざるを得なくなりました。結果として認可を得るための計画策定ができず、敷設は不可能となったのです。
一方、すでに認可を得ていた西新井〜鹿浜間のうち、西新井〜大師前間のみが1931年12月に完成しました。しかし、残る大師前〜鹿浜間については、周辺環境の激変や建設費の増大から認可申請を取り消すこととなりました。なお、現在もこの区間の延伸計画はありません」
現在でも東武本線系統と東上線系統を直接結ぶ自社路線はなく、車両を移動させる際には他社の路線を経由する必要があります。
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