70年前の「ジャガー」がオークションで高値落札 ル・マン24時間レースを3連覇 工場火災によりわずか87台しか生産されなかった悲劇の「Dタイプ」とは
落札価格は10億円超え
2025年11月にスイス・チューリッヒで開催されたブロードアローオークションに、1958年式ジャガー「Dタイプ」が出品され、高値で落札されました。
どんなクルマなのでしょうか。

ジャガーDタイプとは、1951年、ならびに1953年のル・マン24時間耐久レースで優勝したジャガー「Cタイプ」の後継モデルとして1954年に登場しました。
搭載された3.4リッター直6DOHCエンジンはCタイプを上回る250馬力超で、その戦闘力はCタイプを凌駕していました。そして1955年、56年とル・マン24時間レースを連覇しました。
しかし1957年、ジャガーに悲劇が襲います。
コヴェントリー工場を襲った火事により、生産中のDタイプはすべて焼失。また生産する機械や道具も焼失したために生産の続行が不可能となり、歴史から姿を消しました。Dタイプの生産台数は、わずか87台といわれています。
ただしその年、1957年のル・マン24時間レースには出場し、見事に3年連続優勝を獲得しました。
オークションに出品されたジャガーDタイプ「XKD 551」は、1956年6月に出荷された車両で、工場火災前に完成した最後期の一台として知られています。
ブリティッシュ・レーシング・グリーンのショートノーズ仕様で、エンジン番号E2070-9を搭載。ジャガー・ダイムラー・ヘリテージ・トラストに記録が残り、近年CKLデベロップメンツによる詳細調査も行われました。
この個体はロンドンのヘンリーズ・ジャガーで展示車として使われ、その後オースティン・マンックスに貸し出された後、再び工場に戻されています。1957年にはクームズを経てジュゼッペ・スポルトレッティ・バドゥエルの手に渡り、公道仕様の“セミXKSS”へと改装されました。フルウインドスクリーンやサイドスクリーン、助手席側の改修が施され、ナンバー「ULU 336」で登録されています。
その後のオーナー遍歴には、ジェームズ・ドーネイ卿、F1のポール・ホーキンス、コリン・クラブなど英国モータースポーツ界の名士が名を連ねます。1969年以降はサー・ポール・ヴェスティ、そしてホスキンソン兄弟の所有となり、1970年のイギリスGPではペドロ・ロドリゲスが助手席に乗った写真も残されています。以降の履歴もすべて明らかで、1995年からは現オーナーが丁寧に維持してきました。
現オーナーのもとでこのDタイプはミッレ・ミリア・ストリカやモナコ・ヒストリックGPに参加し、2012年にはヴィラ・デステでも高評価を得ています。調査の結果、モノコック中央部やボンネット、テールセクションなど主要構造は当時のまま。溶接跡やリベット配置、鉛筆記号まで残る極めて純度の高い個体です。
シャシはオリジナルのレイノルズ531鋼製で、内装のスエードグリーンも当時物の可能性が高いとされています。マイルメーターは1万9570マイルを示し、ヘッダータンクやドライサンプタンク、ウェーバー45DCO3キャブ、ダンロップ製ホイールなど主要部品も忠実に維持されています。
なお、3.4リッターのオリジナルエンジンは長らく保管され、車体には3.8リッターが載せられていましたが、今回の販売に向けて元のエンジンが約30年ぶりに再搭載されました。3.8リッターも付属します。足まわりは基本的に当時仕様を保ちながら、安全性向上のためKONIダンパーなどが追加されています。
モデル全体の背景をたどると、Dタイプは1954年に登場し、1955年から56年にかけてル・マンを連覇。しかし1957年にコヴェントリー工場が火災に遭い、生産設備とともに製造中の車両が失われました。それでも同年のル・マンでは勝利を収め、87台のみが世に出た希少なレーシングカーとして伝説的存在となっています。
そんな貴重な1958年式ジャガー「Dタイプ」、最終的に518万1250スイスフラン(1CHF=194円換算で日本円で約10億400万円)という高値で落札されました。
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