VAGUE(ヴァーグ)

ボタンひとつの「おいしい」は、誰かが何度も食べてつくっていた。炊飯器と電子レンジの中に宿る、人の舌と暮らしの記憶

100点より難しい、毎日の85点

 やがて、鶏肉が焼き上がった。

 扉が開く。湯気が上がり、香ばしい匂いが広がる。白衣の研究者たちは、まず料理を見た。焼き色。肉の火の入り方。野菜の状態。冷凍ブロッコリーのやわらかさ。

焼き上がった鶏肉と野菜を庫内から取り出す場面。皮の焼き色や野菜の状態を見ながら、開発者は見た目、火の通り、食感をひとつずつ確認していく
焼き上がった鶏肉と野菜を庫内から取り出す場面。皮の焼き色や野菜の状態を見ながら、開発者は見た目、火の通り、食感をひとつずつ確認していく

 それから切り分ける。皿に取る。食べる。

 ただ「おいしい」と言うためではない。外観、食感、火の通りを確認し、基準に照らす。ひとりの好みに寄らないよう、複数人で評価する。食べながら、言葉を合わせていく。

仕上がった鶏肉の状態を確認する工程。見た目や食感だけでなく、必要に応じて温度なども見ながら、狙った仕上がりに近づいているかを検証していく
仕上がった鶏肉の状態を確認する工程。見た目や食感だけでなく、必要に応じて温度なども見ながら、狙った仕上がりに近づいているかを検証していく

「専用のプログラムを組めば、ある料理で100点を狙うことはできます。でも、そのレシピにしか使えないのでは、実際の生活では出番が限られます。85点、90点でも、いろいろな食材を受け止めて、ちゃんと食卓に並べられるようにする。今はそこを目指しています」

 この言葉を聞いたとき、電子レンジの見え方が変わった。

 技術の世界では、100点という言葉は強い。最高の焼き上がり。最高の火入れ。最高の仕上がり。説明もしやすいし、機能としても伝えやすい。

 しかし生活は、100点を取りにいける日ばかりではない。食材は毎日違う。分量も違う。調理する人も違う。疲れている日もある。子どもが先に帰ってきて、自分で用意することもある。

調理後の仕上がりを複数人で確認する様子。一人の好みに寄せるのではなく、外観、食感、火の通りを言葉にしながら、評価の物差しを合わせていく
調理後の仕上がりを複数人で確認する様子。一人の好みに寄せるのではなく、外観、食感、火の通りを言葉にしながら、評価の物差しを合わせていく

 そのすべてを受け止める85点や90点は、ひとつの料理だけで出す100点よりも、むしろ難しい。

 派手ではない。けれど、毎日の食卓では強い。家電が本当に役に立つのは、そういう場面なのだ。

手を抜くのではなく、手間を預ける

 取材の途中、明石さんが言った。

「私たちは“手抜き”ではなく、“手間抜き”と言っています」

 短い言葉だった。けれど、調理家電の役割を言い切っていた。

「本当は毎日買い物に行って、考えて、料理したい人もいると思います。でも、それができない。だから、しんどいところ、スキルがいるところを調理機器が引き受ける。材料を用意して、家でおいしく食べるという価値は残したいんです」

 手抜きではない。手間抜き。

 料理をやりたくないわけではない。家で食べることを諦めたいわけでもない。ただ、火加減を見続けること、食材を入れる順番を考えること、生焼けや焦げを心配すること、そのすべてを毎日背負い続けるのは難しい。

 家電が引き受けるのは、料理そのものではない。料理の中にある、しんどい部分である。

ラボに置かれていた評価基準のファイル。焼き色や食感、仕上がりの基準を記録し、開発者が変わっても判断が大きくブレないようにするための知見が蓄積されている
ラボに置かれていた評価基準のファイル。焼き色や食感、仕上がりの基準を記録し、開発者が変わっても判断が大きくブレないようにするための知見が蓄積されている

 そこを家電が担えば、料理は少し家族に開かれる。帰宅が早い人が食材を並べる。帰宅が早い人など、家族の誰かが食材を並べてスタートボタンを押すだけで料理が出来る。火加減に自信がない人でも、一品を任せられる。

 それは時短という言葉だけでは足りない。料理の負担をひとりのものにしないための技術でもある。

米の部屋には、別の時間が流れていた

 次に向かったのは、炊飯器の実験室だった。

 レンジの部屋とは空気が違う。こちらには、別の緊張感があった。相手にしているのは、米。ひとつの素材だ。だが、そのひとつが途方もなく深い。

 古い炊飯器も、新しい炊飯器も並んでいる。歴代の製品が、時間の地層のように置かれていた。棚には米があり、冷蔵庫には全国の銘柄米、コンクールで評価された米、玄米、海外米まで保管されていた。

炊飯器の実験室。レンジのラボが料理の幅広さを受け止める場所だとすれば、こちらは米というひとつの素材を深く掘り下げる場所。複数の炊飯器や評価機器が並ぶ
炊飯器の実験室。レンジのラボが料理の幅広さを受け止める場所だとすれば、こちらは米というひとつの素材を深く掘り下げる場所。複数の炊飯器や評価機器が並ぶ

 ここでは、米が静かに待っていた。

 案内してくれたのは、Panasonic Cooking @Lab 炊飯部 上級主幹技師を務める加古さおりさん。炊飯器と向き合い続けてきた、米の語り部のような人だった。

Panasonic Cooking @Lab 炊飯部 上席主幹技師の加古さおりさん。炊飯器と米に向き合い続け、日本人が「おいしい」と感じるごはんの中心を探ってきた
Panasonic Cooking @Lab 炊飯部 上席主幹技師の加古さおりさん。炊飯器と米に向き合い続け、日本人が「おいしい」と感じるごはんの中心を探ってきた

「ごはんのおいしさは、硬さ、粘り、食感、味のバランスです。ただ、目指すのは日本人の誰もがおいしいと思えるごはん。硬めが好きな人、柔らかめが好きな人、粘りが好きな人、いろいろな好みの人がいます。そのどの人が食べても、バランスが取れていておいしいね、と思えるごはんを中心に置いています」

 誰もがおいしいと思えるごはん。

 言葉にすると、やさしい。だが、実現するのはおそろしく難しい。

 強い個性を出す方が、伝えやすい。甘みが強い。粘りが強い。粒立ちが際立つ。売り場でも、記事でも、言葉にしやすい。

 しかし加古さんたちが探しているのは、そのどれにも偏りすぎない中心だった。

炊飯器は、米と暮らしの変化を受け止める道具だった

 炊飯器の開発とは、釜を磨き、火力を高め、圧力を制御する仕事だと思っていた。

 もちろん、それは間違いではない。だが、この部屋に並んでいたのは、炊飯器だけではなかった。全国から集められた米があり、年ごとに選び直される試験米があり、炊き上がったごはんを何度も食べ比べる人たちがいた。

 加古さんたちは、米を炊く前に、まず米を見ている。

 今年の米は、去年と何が違うのか。どの産地の米が安定しているのか。いまの日本人は、どんな食感をごはんに求めているのか。

 炊飯器は、ただ米を炊いているのではない。変わり続ける米と、変わり続ける人の好みのあいだに立ち、その年の「おいしい」を探している。

Panasonic Cooking @Lab炊飯部のメンバーが示してくれた、全国の銘柄米の特徴を整理したチャート。甘み、粘り、粒立ちなどを言葉とデータで共有しながら、「誰もがおいしい」と感じるごはんの中心を探っていく
Panasonic Cooking @Lab炊飯部のメンバーが示してくれた、全国の銘柄米の特徴を整理したチャート。甘み、粘り、粒立ちなどを言葉とデータで共有しながら、「誰もがおいしい」と感じるごはんの中心を探っていく

 そのことに気づいたとき、目の前に並ぶ炊飯器が、ただの調理家電ではなく、米と暮らしの変化を受け止める道具に見えてきた。

 加古さんは、その変化を長い時間で見てきた。

「15年くらい前は、コシヒカリのように、噛むと粘りがあって、噛むほど甘みが出るごはんが好まれていたと思います。その後は、甘くてもちもちしたごはん。今は、粒立ちがしっかりしていて、甘みもあるごはんがトレンドです」

 おいしいごはんは、時代とともに動く。

 日本人の主食だからこそ、変わらないもののように思える。けれど、食生活が変われば好みも変わる。冷めたごはんを食べる場面もある。おにぎりにすることもある。保温して食べることもある。

 さらに、米そのものも変わっている。近年は気候変動の影響もある。同じ銘柄でも、年によって状態が違う。高温障害の影響を受ける米もある。だから、試験に使う米も毎年選び直す。

「秋に試験米を選ぶのはかなり大変です。去年と同じくらいの味が出ていて、品質が安定していて、1年分手に入る米を探します。今年は何県が良さそうだという話を聞いて、取り寄せて食べてみる。

 今は丹波篠山のコシヒカリを使っていますが、その前は新潟、福井、富山のブレンドだったり、会津や長野の米だったり、年によって変えています」

ラボで保管されている試験用の米。銘柄や産地、年ごとの状態を見極めながら、炊飯器開発の基準となる米を選んでいく。おいしさの検証は、米を選ぶところから始まる
ラボで保管されている試験用の米。銘柄や産地、年ごとの状態を見極めながら、炊飯器開発の基準となる米を選んでいく。おいしさの検証は、米を選ぶところから始まる

 毎年、同じように米が届くわけではない。同じ銘柄だからといって、同じ味が出るわけでもない。だからこそ、炊飯器の開発は、米を選ぶところから始まる。

 釜の性能だけではない。米を知ることそのものが、炊飯器づくりの一部になっている。

Next変わらない外側の中で、変わり続けるもの
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滝田勝紀
滝田勝紀
VAGUE家電統括プロデューサー
モノ雑誌の編集に15年以上携わり『デジモノステーション』編集長を歴任。現在は家電スペシャリストとして、国内外の最新テクノロジーを長年取材。All About家電ガイドやMakuakeエバンジェリスト、楽天ROOM公式インフルエンサー(フォロワー56万人超)など幅広く活動する。海外取材経験も豊富で、欧州家電メーカー本社や世界最大級の見本市「IFA」への造詣も深い。また、Z世代向けメディア運営やPR会社経営の傍ら、インテリアスタイリスト窪川勝哉氏とのユニット「𝒾𝓃𝒞𝒶𝒹𝑒𝓃𝓏𝒶」で家電開発も手掛ける。機能とデザインの両面から、心地よい暮らしのあり方を提唱している。

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