ランチア「ストラトス」や「デルタ」などの名車が激走する復刻版ヒルクライムは、なぜ盛り上がるのか?【イタリア通信】
イタリア屈指の大人気ヒルクライムレースとは
Writer:野口祐子(NOGUCHI Yuko)
Photographer:Archivio CPAE
2021年9月10日−12日の3日間、復興版のヒルクライムレース、第25回「Vernasca Silver Flag」がおこなわれた。「イタリアの美しい村」として紹介されている「Castell’Arquato(カステルアルクアート)」という村からスタートするこのレースは、今イタリアでもっとも人気がある自動車イベントのひとつになっている。

初日となる10日、スタート地点であるカステルアルクアートに各地からヒストリックカーが次々とやって来た。中世の建物が当時の姿で残っている石畳、レンガの壁、褐色の壁、クリームの壁が続く道を走り抜けていく色鮮やかなヒストリックカー、この異色な組み合わせが妙に合う。
●フェラーリのレース参戦はピアチェンツァから始まった
1947年5月11日、ピアチェンツァ市内の公道サーキットで、第1回グランプリレースが開かれ、約40台のレーシングカーが参戦したという。そしてその記念すべきレースにフェラーリの第1号車である「125S」も参戦した。フランコ・コルテーゼがステアリングを握り、惜しくもリタイアとなったがフェラーリのレースヒストリーの幕開けとなった地がピアチェンツァである。
そのピアチェンツァ市内から50kmほど走ったところにVernasca(ヴェルナスカ)という標高約460mの街がある。1953年、その街をゴールにヒルクライムのレースが開催される様になった。
地方選手権のテストイベントとして生まれたこのレース、ヒルクライムレースの当時の正式名は「Castell’Arquato-Vernasca」。
カステルアルクートがスタート地点でゴールであるヴェルナスカまで走るというコース。ピアチェンツァ自動車クラブ主催で、1953年から1972年にかけ17回開催された。コースは9775mで、はじめの5kmほどは谷道をずっと走り続け、残りの4kmはほとんどがヘアピンで最大10%の勾配だったという。当時はもちろんスピード競技だった。

第1回目は参加40台、アルファ ロメオが公式参加し、Consalvo Sanesiがアルファ ロメオ「6C 3000CM」のステアリングを握った。
翌年1954年は60台、1955年は90台、その後100台と参加台数は時代のレース熱とともにどんどん増えていった。
60年代に入るとCastell’Arquato-Vernascaはモータースポーツファンの間で人気が上がり、マセラティ「バードゲージ」、フェラーリ「250SWB」、フェラーリ「250GTO」、フェラーリ「212」、オスカ「1500」、アバルト「1000 Barchetta」、ポルシェ「904」、ポルシェ「908」、アルファ ロメオ「TZ」など、時のヒーローとなるクルマが参戦し、1972年の最終回ではアルファ ロメオ「GT1600」が優勝し、幕を閉じた。
しかし、レースはなくなってしまったものの、このヒルクライムレースはこのあたりに住んでいる子供達にたくさんの夢を与えた。円盤のような形をしたクルマ、爆音のような耳をつんざくような音、雑誌やテレビに登場しているドライバー達のドライビング姿が目の前を通り過ぎていく。その光景は田舎の子供達の目に強烈に焼き付いた。
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