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トヨタ新型「クラウン」登場! 徳川15代より長い!? 16代の変遷で歴代クラウンは何に挑み革新してきた?

そもそも初代クラウンの登場から挑戦的であった

 そんなクラウンの歴史を振り返れば、確かに、そこには数々のトヨタの挑戦が見られます。そもそも、最初の初代クラウンこそが、当時、非常に大きな挑戦だったのです。

1955年に登場した初代「クラウン」
1955年に登場した初代「クラウン」

 なぜなら、初代「クラウン」が誕生した1955年(昭和30年)のちょっと前までは、「日本の自動車メーカーは技術的に劣っており、外国メーカーに太刀打ちできない」という考えが大勢を占めていました。そのため、外国メーカーとの技術提携が主流で、ノックダウン生産等もおこなわれていました。

 それに対してトヨタの方針は「純国産」路線。そんな中で生まれた初代クラウンは、非常に高く評価されます。まさに挑戦の末、日本車の革新を生み出したのです。

 その初代「クラウン」は、1957年には日本車初となるオーストラリアで開催された海外ラリーに参戦、さらに日本の乗用車初となるアメリカ輸出にも挑戦しました。

 あわせてトヨタは、1959年に年間6万台規模を生産できる元町工場を設立。1955年のトヨタの乗用車の年間販売台数は7055台、「クラウン」の登場で飛躍的に販売を伸ばした1958年でも20728台。その3倍の規模の工場を作ることも、挑戦のひとつであったと言えるでしょう。

 その後、1960年代に2代目、3代目の「クラウン」を発表。2代目では国産乗用車初のV型8気筒エンジンを搭載。高級乗用車が黒塗りの多かった時代に、3代目は白ボディをアピールして「白いクラウン」と呼ばれました。

4代目の失敗から学び、1970~80年代は隆盛期に

 1971年に登場した4代目は、アメリカ風の大胆なデザインを導入。ところが、これが大失敗。トヨタは「クラウンは、お客様の先に行きすぎてはならない」という教訓を得ます。

その教訓を守った5~8代目モデルは1970年代から80年代にかけて大成功を収めます。7代目の「いつかはクラウン」というキャッチコピーが定着。空前の好景気に沸いた1980年代末期に登場した8代目モデルは年間販売台数20万8016台(1990年)という「クラウン」史上最大の販売台数を記録しました。

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